墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

遠見山古墳 群馬県前橋市総社町総社

吉岡町の古墳を訪ねた後は南へ3kmほど、利根川右岸を下って前橋市社町の古墳へ。

 

以前に見事な石室の宝塔山古墳や蛇穴山古墳などを訪ねたが、遠見山古墳は未探訪だった。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/10/10/123000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/10/11/000200

あの時は雨が降っていた。もう4年近く経っていてびっくり。

 

遠見山古墳はそれらから少し離れた利根川寄りに立地する。

 

地元の史跡”愛存会”による説明板。

遠見山古墳
長さ80mほどの前方後円墳で、墳丘は前方部が低く、埴輪破片が多く出土している。堀の土層の状態から6世紀初頭ごろの築造と推定される。後円部の中ほどは構築当時より削平され若干低くなっているが葺石が多く見受けられ、周囲に10~20m幅の堀の跡が確認された。遠見山の名称は慶長9年(1604)総社城の築造の時、遠見のための櫓が設置されていたことから名付けられたと考えられる。
平成8年3月吉日 総社地区史跡愛存会

 

こちらは市の教育委員会によるもの。 

前橋市指定史跡 遠見山古墳
指定年月日:平成22年3月29日
所在地:前橋市社町総社甲1410、乙1410
利根川右岸の総社町から大渡町にかけて広がる総社古墳群の中で最も古い時期の古墳である。墳丘の一部は削平されていることが判明したが、周堀及び南西コーナーが確認された。また、周堀の最下層からは、6世紀初頭の榛名二ツ岳火山灰層が確認され、埴輪片も検出された。墳丘約70m、周堀まで含めると全長100m以上の大型の前方後円墳であったと推定される。総社古墳群を築造した豪族やヤマト政権との深いつながりを持つ有力豪族であったと推測されており、5世紀後半から急速に力をつけ、この地域一帯を支配した豪族の勢力拡大過程や総社古墳群の成立を解明する上で極めて重要な古墳である。
前橋市教育委員会

 

説明板の脇から墳丘へ上がらせて頂く。

鞍部から後円部。東北東の方向になる。

 

反対側の前方部。

 

前方部からその先を。

 

前方部上から後円部方向。

 

前方部上から後円部への側面。くびれ部のカーブ。

 

後円部の先をパノラマで。

住居の先に利根川縁の木々があり、その向こうに対岸のスポーツ施設の照明施設が立つ。

 

北側の山々は望めない天気だった。

 

南東方向には群馬県庁のビル。

 

後円部南縁から前方部方向。

 

墳丘北側の公園から見た後円部。

 

すべり台の上からパノラマで。

 

ここを春先に訪ねられたぺんさんのブログには、後円部から望む雄大赤城山の写真が掲載されている。

http://pennihonshi.blog.fc2.com/blog-entry-309.html