墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

簗瀬八幡平の首塚(旧原市町12号墳・簗瀬首塚古墳) 群馬県安中市簗瀬

前回の簗瀬二子塚古墳の前方部墳頂から南西方向の隅を。

 

その方向、道を隔てた塚の上に、お堂があった。

 

説明板に惹かれて近寄った。

 

その内容は興味深いものだった。この場所は古墳(円墳)であった。

簗瀬八幡平の首塚
安中市指定史跡 昭和34年10月9日指定
この首塚は、碓井川北岸の河岸段丘上に位置する旧原市町12号墳(円墳)の墳丘に幅1m、長さ2mの穴を掘り、そこにおよそ150体分の頭蓋骨を埋めてあったものである。
この首塚は、昭和6年3月10日に墓参りにきた小学生によって偶然発見された。その後、昭和27年12月に東京大学人類学教室鈴木尚博士によって調査された。調査の結果、古墳の石室の外側に約150個分の頭骨が山と積まれ、その上を天明3年(1783)の火山灰がおおっていることがわかった。不思議なことには頭骨には下顎がなく、四肢骨も発見されないところから多分どこか別の場所に埋葬されていたものをここに仮葬したものと推定される。これらの頭骨を人類学的に研究したところ、今の日本人にくらべて長頭・短顔・広鼻で鼻の付け根が低く、中世の日本人の特徴を示している。これらの人骨には刺創もあるところから考えて恐らく戦国時代に近くの城が陥落する際の犠牲者と考えられるが、当時遺体をまとめて埋葬したものを、江戸時代中期又はそれ以前に村民によって偶然発見され、ここに改葬されたものと思われる。
この首塚がいつ誰によって造られたかを示す資料は残されていないが、永禄4年(1561)に武田信玄がこの付近帯に八幡平陣城を築き、安中城と松井田城の間を分断した。当時、松井田城主安中忠政、安中城主安中忠成親子は、箕輪城主長野氏に属し、武田信玄と戦いを交えていた。
この首塚安中市の中世を物語る遺跡であり、首塚で出土した人骨は貴重な人類学上の資料である。
安中市教育委員会 

 

お堂の内部。扉の向こうは石室?

 

後で「群馬県古墳総覧2017」を見たら、簗瀬首塚古墳は直径約24mの横穴式石室を持つ円墳と記されていた。

 

お堂の前から見た簗瀬二子塚古墳。