夏の朝、思い立って群馬の古墳をいくつか見て回った。
先日、文科相へ国指定史跡への答申がなされた簗瀬二子塚(やなせふたごづか)古墳。
左が前方部で、右が後円部。
現在は安中市指定史跡。きれいに整備された見学しやすい古墳。
周溝のそばにあった説明板。
安中市指定史跡 簗瀬二子塚古墳
所在地:安中市簗瀬756-1ほか
指定:平成24年11月27日
◆概要
簗瀬二子塚古墳は、安中市域に初めて登場した大型前方後円墳で、古墳時代後期初頭(6世紀初頭)に築造されたと考えられています。この地域一帯を支配した有力者の墓と推測されます。
また古墳の埋葬部分は横穴式の石室が作られています。この横穴式石室は、上野地域さらには東国において、石室が竪穴式から横穴式へと移る最初の頃のものと考えられ、学術的にもとても重要な古墳です。
◆規模
2段築造の前方後円墳で全長約80m、後円部径約50m・高さ約8m、前方部幅約60m・高さ約7m、上野地域の古墳時代後期初頭(6世紀初頭)最大級の古墳です。
図の部分のアップ。長軸は、ほぼ東西を向いている。
グーグルアースでも形がはっきりわかる。後円部側の周溝が道路で削られているが、墳丘はきれいに残った。墳丘全長は80mだが、周溝を含めると130mにもなる。
石室や出土物についての説明板もあった。
◆石室
全長11.54m、羨道長7.47m(刃場0.67m~0.95m)、玄室長4.07m(幅2.16m~2.32m)、高さ2.20m。天井石には秋間石(溶結凝灰岩)が使用され、近くの碓井川の川原石を使用している壁石には赤色顔料(ベンガラ)が塗彩されています。
◆出土遺物
・埴輪:円筒埴輪・形象埴輪(人物や馬など)が出土、墳丘第1弾平坦面には埴輪列が確認されています。
・副葬品:玉類(金箔ガラスの3連子玉・勾玉・水晶製丸玉など)、装身具(金銅製耳環など)、石製模造品(鎌・刀子・臼玉など)、武器類(鉄鏃・直刀・鉄小札)、馬具(杏葉・辻金具など)、須恵器などが確認されています。
◆古墳の整備
本墳は墳丘の残りがとても良かったため、古墳の保護を目的とした整備を行いました。墳丘の形状を変えることなく、古墳全体に盛り土を行う方法を用いています。
南側からパノラマで。
後ろには立派な四阿も。
前方部右裾から。
前方部左裾から。
北側からパノラマで。右が後円部、左が前方部。
後円部左上裾から。 右奥が前方部。
下から見上げる後円部。
道路との間の狭くなった箇所を回る。
一周して墳丘上へ。
一段上がった後円部脇。
ここに横穴式石室入口がある。
近くにあった電源設備?に石室の断面図や展開写真が掲示されていた。
入口から少し下ったところに玄室がある。
入口の扉は常時閉鎖。窓にレンズをくっつけてフラッシュを焚くと、羨道の側壁の川原石が写った。
国指定答申直後の2018年6月30日に、石室公開と現地説明会が行われた。ぺんさんのブログにその時の様子が紹介されている。
http://pennihonshi.blog.fc2.com/blog-entry-734.html
その少し前の新聞記事には、西日本から伝わったとされる横穴式石室は群馬県周辺で当古墳以降に広く用いられているそうで、「群馬県周辺地域が、関東近郊だけでなく西日本とも交流を持っていたことを裏付けている」との解説(県文化財保護課)が紹介されていた。
https://www.sankei.com/region/news/180617/rgn1806170017-n1.html
くびれ部から、いよいよ墳頂へ。
鞍部から西側、前方部。
振り返って東側、後円部。
広場のような後円部墳頂。
小祠と石碑があった。
北東方向の眺め。
パノラマで。
後円部から前方部。奥の山塊は妙義山。
北西方向。中央奥に、うっすらと浅間山。
ズーム、モノクロでコントラストをつけるとこのように。
後円部から前方部側をパノラマで。
前方部墳頂から後円部。
反対側、前方部の右裾の隅を。
今回は(も?)あまり下調べをせずに出かけてしまったが、昇寛さんのサイトで後円部側の道路対岸に古墳のガイダンス施設があったことを後から知った・・・
公園化される前の竹薮だった墳丘や、ベンガラが塗られた石室内部も紹介されていて貴重な記録写真となっている。
http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/annaka_yanase/