墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新助坂 東京都新宿区南元町

前回のつづき、2月の坂散歩。

千日坂を降りて左(東)に向かうと、中央・総武線の北側へ抜けられる通路があった。

最初に首都高をくぐる。

 

次に鉄道のガードをくぐる。

 

くぐって右方向。

 

左方向。

 

すぐ北側には斜面が迫り、斜面下に低層の住宅が建て込んでいる。空き家もあった。 

 

線路に沿った道の西端を北に曲ると新助坂の上り。

 

細くて急な、登りがいのある坂。左は創価学会の"文化センター”とあった。

 

途中で振り返って。

 

標柱は坂の中腹にある。 

新助坂
「新撰東京名所図会」には、「新助坂は四谷東信濃町に上る坂なり、一名をスベリ坂ともいふ、坂の下には甲武鉄道線の踏切隧道門あり」と記されている。明治30年代中頃には、新助坂の名で呼ばれていた。

 

坂上から。

 

上ってきた坂を降りる。突き当たりの鉄道の土手はダムの壁のよう。 

 

上記を左に折れると100mほどで突き当たる。

 

右にはガード下トンネルがあり、左には新助坂と平行するように急坂があった。

 

坂名を調べてみたが、わからなかった。

 

細くて急で、くねっていて風情がある。

 

坂上方向。

 

坂上出入口は車止めが縦方向に埋められていた。