墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

目黒新富士跡・別所坂・別所坂児童公園 東京都目黒区中目黒

以前忘年会をした場所の近くで、「暑気払い」をする機会があった。 

前回は冬だったので暗がりだった別所坂。

 

同じくらいの時間だが、今回はまだまだ明るかった。 

 

坂上のマンションの敷地に、かつて目黒新富士があった。

目黒区みどりの散歩道 目黒川コース

目黒の“新富士”と新富士遺跡

この辺りは、昔から富士の眺めが素晴らしい景勝地として知られたところ、江戸後期には、えぞ・千鳥を探検した幕臣近藤重蔵が、この付近の高台にあった自邸内に立派なミニ富士を築造、目切坂上の目黒“元富士”に対し、こちらは“新富士”の名で呼ばれ、大勢の見物人で賑わった。

平成3年秋、この近くで新富士ゆかりの地下式遺構が発見された。遺構の奥からは石の祠や御神体と思われる大日如来像なども出土。調査の結果、遺構は富士講の信者たちが新富士を模して地下に造ったものとわかり「新富士遺構」と名づけられた。今は再び埋め戻されて地中に静かに眠る。

 

ちなみに台地下の山手通り西側にある目黒区めぐろ歴史資料館には、目黒新富士の中に構築されていた胎内洞窟が再現されてる。

 http://www.city.meguro.tokyo.jp/kyoiku/shogai_gakushu/rekishi_shiryokan/josetsu/rekishijyosetu.htm

 

 グーグルマップで。 この「テラス恵比寿の丘」の南部分になる。

 

「東京時層地図」アプリで同じ位置を(地理院標準地図) 

 

昭和30-35年の地図には、富士塚が丸く残っている。 

 

大正5-10年の地図には三角点もある。すぐ脇を三田用水が流れていた。

 

坂上からの最初の角には庚申塔

 

六基が置かれていた。

 

銅製の説明板も。

 

そのあたりから振り返って。左の大谷石の側壁は三田用水の跡かなどと想像を廻らした。

 

そこから坂下側。

 

次の角には「建築計画のお知らせ」が。

 

2019年末までに地上5階の寄宿舎が建つ予定。

 

柵越しの風景は今だけのもの。向こう側に公園が見えた。

 

この土地の擁壁は大谷石を積み上げた立派なものだった。

 

坂は、さらにクランクを続けながら下る。

 

少し下って振り返って。

 

さらに下って振り返って。

 

そこからもさらに下る。長くて高低差があってクランクが多い名坂だった。

 

上記の左に別所坂児童遊園の門があった。

 

そこから崖上へストレートに上がる階段があった。

 

上りつつ見た左手。これから寄宿舎が建つ土地には大きな木が残っていた。

 

階段上は斜面を活かした遊び場になっていた。かつては左上あたりに「新富士」があったはず。

 

そこから見た西側の眺め。

 

一番上まで上がって「新富士」の裾あたり。

 

そこに、なんと新富士の説明板があった。

新富士 中目黒2-1
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まり、各地に講がつくられ、富士山をかたどった富士塚が築かれた。
この場所の北側、別所坂をのぼりきった右手の高台に、新富士と呼ばれた富士塚があり、江戸名所の一つになっていた。この新富士は文政2年(1819)、幕府の役人であり、蝦夷地での探検調査で知られた近藤重蔵が自分の別邸内に築いたもので、高台にあるため見晴らしがよく、江戸時代の地誌に「是武州第一の新富士と称すべし」(遊歴雑記)と書かれるほどであった。
新富士は昭和34年に取り壊され、山腹にあったとされる「南無妙法蓮華経」(文政二己卯年六月建之」とある)・「小御嶽」「吉日戌辰」などの銘のある3つの石碑が、現在この公園に移されている。
平成18年10月 目黒区教育委員会

 

山腹にあった石碑も!

 

説明板にある近藤重蔵(じゅうぞう)については、たまたま最近読んだ宮本常一の本で詳しく知った。といっても主役は重蔵の子、富蔵の方だが。

かつて槍が崎と呼ばれていたこの場所に近藤重蔵は、半之助という百姓から土地を買って下屋敷を設け「目黒新富士」を築いてその管理を半之助にたのんでいた。新富士の見物客が増えると半之助はその土地を自分のものだと主張するようになって近藤家の悪口をいうようになる。武士の近藤家の富蔵は半之助を斬らねばならぬと思うようになり、二人の子供と妻まで斬ってしまい八丈島島流しとなる。その八丈島で「八丈実記」28巻を記したという話。縮めてしまうと素っ気ないが、非常に面白かった。

辺境を歩いた人々 (河出文庫)

辺境を歩いた人々 (河出文庫)

 

そのほか、松浦武四郎菅江真澄、笹森儀助の偉業について読みやすい文体で書かれている。おすすめです。 

 

説明板の前から、つまりかつての新富士の裾あたりから。

 

ズームすると目黒区総合庁舎の横に富士山の裾が写った。

目黒区総合庁舎(旧千代田生命ビル・by 村野藤吾)は3年前に訪ねた。 

http://massneko.hatenablog.com/entry/2015/12/04/212942

http://massneko.hatenablog.com/entry/2015/12/05/102329

 

おそるおそる降りた。もしかするとかつては富士塚への参拝ルートだったか?

 

車道に出て少し下ると別所坂の標柱があった。

別所坂
この辺りの地名であった「別所」が由来といわれる。別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所であった

 

そこから道なりに北西に進むと結構広い空地が。 

 

飛び石には風情があった。

 

さらに進んで右手に登る坂道。

 

途中で傾斜がうねうねと変わっているのが面白かった。

 

坂上から。