一週間近く前のエントリのつづき。
小田急線の東海大学前駅から神奈川中央交通バスに乗り、下大槻団地で降りた。
バスの通ってきた道路はここから下っていく。右前方にそれらしき木立が見えた。
入口にあった案内図。グーグルマップを見つつ、下記の現在地の左上の通路を進むと・・・
鍵のかかった扉の前に出た。 無断立入禁止の表示。
門の左脇に、草木に隠れつつあった説明板。
神奈川県指定史跡 二子塚古墳
昭和58年8月30日指定 管理団体 秦野市
二子塚古墳は、眼下に巨大な相模平野がみわたされる標高76.2mの薬師原台地の先端部に位置している。
本古墳は丘陵の自然地形を利用して作られており、全長約40mの前方後円墳である。墳丘の後円部の径は東西33m、南北26m、前方部の幅は25mと推定される。高さは前円(方?)部で3.5m、後円部が6mと推定される。
古墳の主体部は未発掘であるが、周溝中より出土した土師器と、古墳の外形からみて、6世紀の後半のものと考えられる。
なお古墳の西方には、かつて円墳で構成された広畑古墳群があり、また岩井戸横穴群や欠ノ上横穴群など多くの横穴が存在し、古墳時代の様相を知ることができる。
この古墳は保存状態も良好であり、県内で現存する前方後円墳がきわめて少ないため、神奈川県指定史跡に指定し、保護するものである。神奈川県教育委員会
その写真部分。台地の先端に全長40mの前方後円墳が残っていた。
秦野市のサイトにも詳しい解説があった。
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000002233/index.html
上記によれば全長は46mで、後円部に南東に開口した横穴式石室があるとのこと。
玄室幅1.5m、前庭部から奥壁までが9m、奥壁は根こそぎ撤去されていたが床には礫が敷いてあり、平面形は片袖式と推定されるそう。
玄室の北東の側壁の際、礫床の上からは5つの割れたが全形の銀装圭頭大刀が出土。そのほかにも象嵌を持つ鞘尻金具、鉄鏃、耳環、玉類、須恵器等が出ている。
こちらのサイトで写真が見られる。
http://www.kanaloco.jp/article/17459
現地の扉のあたりからではなかなか全貌がつかめなかった。
左が前方部で右奥は後円部か。
くびれ部のあたり。
墳丘脇に通路があった。
墳丘側には鉄柵が巡る。
回っていくと広場に出た。
団地の広場から見た墳丘。
右の方へ回って行った南側から。
柵越しに、斜面上の後円部を見上げることができた。
斜面の下方はそのまま崖になっている。
広場から南側の眺め。東側が見られれば、広がる相模平野が望めるのだろう。
下大槻団地の南側の斜面にあった細道を降りてみた。振り返っての二子塚古墳(中央右奥の木立)
その後ろ(西側)の斜面はキャベツ畑だった。
下へ降りると道路の向こうは金目川。
川に架かる歩道橋。
歩道橋から西、上流方向。
東、下流方向。
右の橋上の停留所「欠ノ上」でバスを待ち、2kmほど北東にある塚越古墳を目指した。スマホマップは行き先を入れるとバス利用でのルート・時間も示してくれるので本当に便利。
後で調べていて「神奈川の古墳散歩」さんのサイトで、バス停からたった数メートルのところに横穴墓があったことを知った。上記写真の中央から奥につづく斜面は、古墳時代後期に100基以上の横穴墓群が築かれたエリアであった。
http://www.geocities.jp/kanagawa_kohun/hira_hadano/hirahata_2.htm