墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

相模国三之宮比々多神社・三之宮郷土資料館・三之宮三号墳・下谷戸縄文遺跡 神奈川県伊勢原市三ノ宮

5月19日の土曜日、伊勢原市の三之宮郷土資料館にて、周辺の古墳から出土した副葬品の特別公開があることを知ったので訪ねてみた。

https://www.townnews.co.jp/0405/2018/05/11/431494.html

 

資料館は比々多(ひびた)神社の境内にある。

小田急線の伊勢原駅からバスに乗り、国道246号沿いの神戸という停留所で下車し、北への枝道を徒歩12分。比々多神社まで行く便もあるようだが時間が合わなかった。

 

細道沿いにしては大きな造りの田中屋さん。

 

立派な祠も。

 

昔からの比々多神社への参詣道だったようだ。

 

東名高速をくぐる。渋滞情報でよく耳にする伊勢原のバス停から900mほど西になる。

 

高速の北側には畑が広がっていた。

 

看板で右折して比々多神社へ。

 

右へ曲った先に、境内の森らしき木立が見えた。

 

南東向きの角に鳥居があり、参道が続いていた。

 

祭りの準備が整っている。

 

沢山の鈴が付いた鈴緒が五連。まずは参拝。

 

三之宮郷土博物館は拝殿の右手に(が、建物の写真を撮りそびれる)

公式サイトによれば開館時間は9時~16時。通常は一般200円だが、この日は祭りに合わせて無料だった。

http://hibita.jp/museum/riyou.shtml

三之宮郷土博物館
三之宮比々多神社は、相模國三之宮、延喜式内社としての歴史と電灯を有してる。
この地は大山を背に南面が拓け、相模湾を眺望する丘陵地に太古より人々が生活を営み中央政権との繋がりも深く、この地方の豪族が住んでいました。このことは三之宮、栗原付近一帯い多く古墳や遺跡があり、その出土品により実証されます。
旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代・奈良・平安時代と各々の時代から多くの遺物が発掘調査で出土しています。
この三之宮郷土博物館には、神社で祭祀に用いられた神具などが展示されております。
特に伊勢原市指定重要文化財に指定された埒免(らちめん)古墳からの馬具一式・銅鏡・銀装の大刀・登尾山(とうのやま)古墳の銅鏡。直刀・栗原古墳の環頭柄頭等数多くの資料から悠久なるいにしえを偲ぶことができます。
当館は先々代永井健之助社司が人類学、考古学者である坪井正五郎氏と親交があり、共に調査収集を行い、その意志を継いだ先代の永井参治宮司が考古学に造形深く収集したものが散逸してしまうことを危惧し、昭和28年8月、宝物殿として建設しました。その後に「三之宮郷土資料館」として考古資料を中心に保存展示をしています。
2006年1月 伊勢原ライオンズクラブ 

 

境内入口に「日本遺産のまち伊勢原」という説明板もあった。

信仰の地「大山」の生い立ち
大山への信仰は古く、奈良時代には霊山寺(現・宝城坊。通称・日向薬師)、石雲寺、大山寺が開かれ、平安時代にまとめれられた「延喜式神名帳」に記される阿夫利神社や比々多神社、高部屋神社の成立などにより、信仰の地としての姿が整えられていった。

 

周辺古墳からの出土品の写真も。

赤丸が登尾山古墳出土の飾り大刀、銅碗、銅鏡、馬具、高坏、青がらちめん古墳出土の馬具、緑が栗原古墳出土の柄頭。

 

上記は郷土資料館のガラスケースに展示されていた(撮影不可)

下記の公式サイトに詳しい説明と写真がある。 

http://hibita.jp/museum/collection.shtml

登尾山古墳から出土した、銀糸を巻き付けた柄・圭頭という金銅製の柄頭(つかがしら)・鐔(つば)・刀装具が付いた立派な装飾大刀は、刀身のほとんどが錆びておらず、今でも切れそうに光を放っていた。

出土品の展示とともに、いくつかの古墳がパネルで紹介されていたので、そのいくつかを巡った。

ただし展示物の目玉の一つである、大刀の柄頭(冒頭の記事の金銅単竜環把頭)が近くの畑から発見された栗原古墳は、位置がわからず訪ねられなかった。

 

 

最初に訪ねた三之宮三号墳は、社殿裏手の駐車場の脇にあった。

 

東名高速建設時にこちらに移設復元されたもの。

三之宮三号墳
東名高速道路建設によって発掘調査され、後に左側にあります敷石住居と環状列石(ストーンサークル)の移設とともに復元されたものです。
この積石により当時の知恵と努力がしのばれます。

 

なかなか長大は石積み。

 

玄門(?)のあたりから。

 

しゃがんだ目線で。

 

奥壁の石。

 

奥壁を背にして。

 

昇寛さんのサイトによれば、調査時すでに原形を留めておらず墳丘規模などは不明だが石室の規模から20m前後の円墳と考えられ、7世紀後半の築造と推定されるそうだ。

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/isehara_san3/

 

石室のすぐ西側には移築復元された縄文遺跡が金網で囲まれていた。

 

詳細な説明板があった。 

伊勢原市指定史跡 下谷戸縄文遺跡
昭和44年2月27日指定
三ノ宮・下谷戸(しもやと)遺跡は、東名高速道路の建設に伴い、昭和40~42年に発掘調査されました。その場所は、三之宮比々多神社の南東、県道上粕谷・南金目線が東名高速道路と交差する付近にあたります。ここに残る遺構は、関係者の熱意により、昭和42年5月に移築、復元されたものです。
発掘調査は第3次調査まで行われ、三ノ宮字下谷1090番地を中心に縄文時代から古墳時代にかけての遺構が数多く発見されました。とりわけ縄文時代の遺構は、当時としては比較的珍しい大規模な配石遺構群が確認され、おびただしい数の石が出土したことで注目を集めました。時期は、出土した土器から縄文中期から後期を考えられます。
主な遺構としては、張り出し部を持つ柄鏡形の敷石住居址、配石、環礫方形配石遺構、墓壙群等があります。敷石住居址には、住居全面に石を敷くもの、中心部分にのみ部分的に敷くものが見られます。配石は幅2mほどの帯状の範囲に石が集中して置かれているもので、それが半円形にめぐっています。環礫方形配石遺構は、小さな礫を一辺5mほどの方形に敷き並べたもので、周囲からは焼けた土や鳥獣の骨片が検出されています。また、配石の下からは、墓壙と思われる楕円形の土壙群が発見され、環礫方形配石遺構の下からも人骨が出土しています。
こうした縄文時代の配石遺構群は、平成4年から始まった東名高速道路の拡幅工事や周辺の開発事業に伴う調査でも発見されており、より広い範囲に広がっていることが明らかになっています。市内の縄文時代の遺跡としては、日向の下北原遺跡と並ぶ代表的な存在であり、県内でも貴重な資料として評価されています。
このほか、本遺跡では弥生時代後期、古墳時代前期の竪穴式住居址、古墳時代後期の周溝等も確認されています。
平成20年3月 伊勢原市教育委員会

 

説明板の後ろに環状列石。

 

境内北側の道路を回って遺構を反対側から。奥の白い板が上記の説明板。

 

その手前には敷石住居址。

 

柄鏡形の丸いカーブ。

 

こちら側には昭和62年7月に設置された説明板があった。さきほどのものと内容はほぼ重なるが、環状列石の外径が15mほどであることが記されていた。

 

地図のアップ。東名高速は遺跡の上に造られた。

縄文遺跡や古墳は台地の縁に築かれていた場合が多いので、現代になって中心市街地を避けるように平地の端に作られる道路や鉄道、ニュータウン等と立地が重なることが多々起こる。

 

写真の部分のアップ。

 

柄鏡形敷石住居址は、東京都国分寺市でも見た。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/08/27/183000