墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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土器塚古墳 静岡県磐田市国府台

前回の京見塚古墳から南東へ600mほど、県立磐田西高校に近い住宅地の中に土器塚(かわらけづか)古墳はあった。

 

現地には標柱があるのみだったが、検索すると磐田市教育委員会文化財課が作成したパンフレット(pdf)に行き当たった。

https://www.lib-iwata-shizuoka.jp/wp-content/uploads/2016/08/bkawarakeduka.pdf

平成12年の発掘調査で下記がわかっている。

・直径36m・高さ5mの円墳で、幅7m・深さ1mの周堀が巡る。

・墳丘の下部3分の1は地山の削り出し、その上の盛土の下半分は薄い土層を幾重にも積み重ねたもの、上部半分は黒い土を一気に積んだものと推定される。
・埋葬部分は東西方向に造られ、長さ7~8m・幅1mの棺を納めたものと推定され、中の様子はわからないが周辺から管玉1点とよろいの破片が見つかっている。

・そのよろいの形などから築造時期は5世紀前半と推定され、この地に残る海上皇子伝説などから5世紀頃に遠江国造であった土師氏一族の墳墓ではなかったかと思われるそうだ。

 

墳丘の形がきれいに残っている。

土器塚の名の由来は、ここも「戒成(上)皇子(かいじょうおうじ)伝説」に由来するそうで、皇子や従者が使った土器をここに捨ててそれが塚になったという言い伝えがあるそうだ。

 

墳頂へ上がらせていただいた。

 

斜面には多くの切り株があり、かつては樹木に覆われていたことが想像された。

 

一本だけ残された樹木。

 

右方向に視点を移動。

 

さらに右へ。清掃車の駐車場のようだった。

 

さらに右へ。

 

墳裾の一部に、茎の長いタンポポのような花が群生していた。

 

パノラマで。なんとなく周堀がある感じが出ているか。