前回のつづき。
長者屋敷遺跡からは一旦南へ進んで天竜川を渡り、浜松市に入った。
最初に向かったのは蛭子森(えびすもり)古墳。 現在の天竜川からは1kmほど西に離れている。
道路脇に忽然と現れた。
金網の向こうがすぐ墳丘。
柵の向こうの樹木の下に石組みが見えた。
道路に面した説明板。円墳の3分の1が、この道路で削られていた。
浜松市指定史跡 蛭子森(えびすもり)古墳
昭和37年7月14日指定 浜松市教育委員会
蛭子森古墳は、内部に横穴式石室が構築された直径24m、高さ現3.2mの円墳です。天竜川平野の中央部に立地する数少ない古墳で、1959年に土取作業中に発見され、1962年に発掘調査が実施されました。
横穴式石室は片袖式で、全長が10.6m、棺を納めた玄室が5.2mの大きさです。副葬品には大刀や鉄鏃などの武器類、轡などの馬具類、勾玉や金環などの装身具、須恵器や土師器などの土器類があります。水鳥の装飾が付く須恵器の壺は珍しく、全国的に注目されています。築造年代は6世紀後半で、石室の形態から、天竜川平野左岸との関係が深い豪族の墓と推定されます。
道路からは天井の開いた横穴式石室を、奥壁の後ろ側から見ていることになる。
並んでいるのは奥壁や天井石の一部か。
かがんで樹木の下を見ると細長い石室があった。
奥が石室の入口側。右奥が玄門の石。「片袖式」の石室。
側壁の石積み。
二重囲いになっていて、 外の金網の内側に入ることはできた。側面から見た石室。向こう側がもともとの墳丘の高さか。
内側の囲いの中には入れない。
玄室の側壁を。
石室入口の羨門の側から。落ち葉の深さはどれくらいだろう。
囲いに沿って一回りできた。
幅は狭いが、全長10.5mは、なかなかの規模。
すぐ後ろも道路。
羨門側を。
説明板の反対側に古墳と相対するように羽鳥八幡神社があった。