墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

長者屋敷遺跡 静岡県磐田市笠梅

前回のつづき。

銚子塚古墳、米塚古墳を巡った際に、 道路脇にあった「県指定史跡 長者屋敷遺跡」という看板に惹かれて立ち寄った。

 

周囲を浄水場施設に囲まれた一画。

 

入口は浄水場敷地に挟まれた通路のようで、中に入って意外に広くて驚いた。 

 

説明板には銚子塚古墳や、付近の旧石器時代の遺跡についての解説があった。2万年前からの人の営みがある土地だった。

文化財の道しるべ
天竜川平野を臨む磐田原台地西端には、銚子塚古墳など多くの古墳が造られました。また、台地西半部には、旧石器~弥生時代のムラの跡も見つかっています。
・長者屋敷遺跡 県指定史跡
東西100m、南北80m、高さ3mの長方形に囲んだ土塁が残っています。発掘調査によって、大型の建物跡や土塁に沿って掘られた溝が発見されました。奈良時代の役所の跡か有力者の居館の跡ではないかと考えられています。
・銚子塚古墳附小銚子塚古墳 国指定史跡
銚子塚古墳は、全長108m、高さ8.5mの前方後円墳です。静岡県の前方後円墳の中では最大級の大きさで、古墳時代前期(およそ1600年前)に造られました。明治時代に、三角縁神獣鏡という珍しい銅鏡が出土しました。
小銚子塚古墳は、銚子塚古墳の西側に位置します。全長46mの前方後方墳です。静岡県内では5基しか発見されていない珍しい形の古墳です。
・米塚古墳群 県指定史跡
米塚古墳は、直径40m、高さ6mの円墳です。幅7mの周溝がめぐっているのが見られます。古墳時代中期(およそ1500年前)に造られました。周辺にも8基の小円墳が残っています。
・寺谷(てらだに)遺跡
米塚古墳の南側の茶畑に広がる旧石器時代(およそ1万5千年前)の遺跡です。発掘調査によって、石器や、焼け石を使った調理場の跡などの、ムラの跡が発見されました。
・道東(みちひがし)遺跡
旧石器時代の集落の遺跡です。台形様石器と呼ばれる市内最古の石器(およそ2万2千年前)が出土しています。
・池端前(いけはたまえ)遺跡
旧石器時代の集落の遺跡です。昭和35年(1960)に発掘調査され、全国的にも珍しい石皿をはじめとして、豊富な種類の石器が出土しました。静岡県内で初めて発掘調査が行われた旧石器時代の遺跡です。
平成17年10月 磐田市教育委員会

 

土塁は100m×80m、高さ3mとなかなか大規模。 

 

南西の角のあたり。ここが古墳を取り込んで造られたことを後から知った。

 

西側の土塁。

 

北西の隅にあった説明板。

長者屋敷遺跡の造られた背景
長者屋敷遺跡は、昭和44年に寺谷浄水場建設計画に伴って調査され、奈良時代初め頃の役所跡であることが有力になりました。それ以降、周辺の遺跡の発掘も行われ、この地域では旧石器時代(約2万~1万3千年前)から人々が活動してきたことが明らかになりました。
特に、古墳時代(約1700~1400年前)には多くの古墳が造られました。銚子塚・小銚子塚古墳(国史跡)、米塚古墳群(県史跡)など有力な古墳も見られます。長者屋敷遺跡はこうした豪族の力を背景として造られました。

長者屋敷古墳群
昭和46・48・52年に行われた史跡整備に伴う長者屋敷遺跡内の調査や周辺部の発掘では、長者屋敷遺跡造営の直前の時期の古墳が見つかっています(長者屋敷古墳群)
この内、長者屋敷古墳群1号墳は、長者屋敷遺跡の土塁南西隅に、古墳が1基墳丘ごと取り込まれていました。直径15mの円墳で、内部に横穴式石室が造られています。石室の形などから、6世紀後半~7世紀前半のものと考えられます。
長者屋敷遺跡を造った人たちの祖先の墓かも知れません。
平成21年3月 磐田市教育委員会文化財課

 

現地では説明板を「撮った」だけで読んでいなかった・・・

下記の方のブログなどを見る限り、石室も埋まってしまっているようです。

https://blogs.yahoo.co.jp/yasu1832000/15651945.html

 

こちらは南側の土塁前。手前にも平行して短い土塁がある。

 

中央で切れて長方形の内側に入れる形になっている。

 

その手前にあった説明板。土塁の内側には16.5m×5.5mと大型の建物跡があり、奈良時代の地方官衙跡とする見方が有力だそう。

静岡県指定史跡 長者屋敷遺跡
昭和54年11月19日指定
名前の由来
この地には古くから土塁(土手)の存在が知られており、「長者屋敷」という字名がつけられていたことから、地域の有力者の館(屋敷)の跡ではないかと考えられていました。
発掘調査の成果
昭和44年に寺谷浄水場の建設が計画されたことから、長者屋敷遺跡の年代や性格を知るための発掘調査が行われました。
その結果、土塁の内側から大型の建物跡や土器が発見され、奈良時代初めごろ(約1300年前)の官衙(役所)のような遺跡であることがわかりました。昭和54年11月に静岡県の遺跡に指定されました。
遺跡の特徴
◆土塁の規模は東西約100m・南北約80mで、ほぼ長方形に巡っており、底幅約10m・上部幅約3m・高さ約3mで土を盛ってつくられています。土塁に沿って内側いnは濠が巡らされています。南側の土塁には濠をはさんでさらに外側にも土塁の跡があり、南側だけ二重につくられていたようです。
◆建物跡のうち、1棟は16.5m×5.5mと非常に大型であることから、地方官衙(役所)跡の見方が有力です。
◆建物群の周囲は、古墳を取り込んだ土塁で囲み、内側に濠を巡らし、前門にあたる南側の土塁を二重にし、濠も二重に構築するという全体に謎の多い遺跡です。

 

中に入って東方向。

 

西方向。

 

土塁の内側北方向。 

 

振り返っての南側。

 

南西の角方向。隅に古墳が埋まっているあたり。

この場所は古代東海道が通る遠江国分寺跡から7km近く北になる。

天竜川を渡るのに上流側にもルートがあったのか、それともここからさらに11km北、光明山古墳のある二俣の地との中継点だったのか、などと後で地図を見ながら想像を膨らませた。

 

遺跡南の道路沿いにお茶の直売所があった。

 

家族へのおみやげに新茶を購入。おいしゅうございました。

静香園製茶

http://www.shizukaen.co.jp/company.html