前回の瓢塚古墳の見学後は、200mほど北西にある行人塚(ぎょうにんづか)古墳へ向かった。こちらも和田岡古墳群のひとつ。
標柱と説明板がある。
古墳群の説明部分は共通だった。 古墳名のいわれはちょっと恐ろしい。
史跡 和田岡古墳群
行人塚(ぎょうにんづか)古墳 平成8年3月29日指定
和田岡古墳群は、原野谷川が形成した河岸段丘の南北約2.5km、東西約1.0kmの範囲に造営された古墳群で、古墳時代中期(約1600~1500年前)に築かれた前方後円墳4基と円墳1基が、国の史跡に指定されている。
これらは、原野谷川中流域を治めた有力者の墓として認められている。行人塚古墳は、周辺の発掘調査によって西南西に前方部を向ける前方後円墳であることが分かった。前方部はすでに削られているが、古墳の規模は以下のとおりである。
全長43.7m 後円部直径25.4m 後円部高さ不明 前方部幅16.0m 前方部長さ18.3m 前方部高さ不明
墳丘の周りには幅約10mの周堀が廻るが、前方部先端では、幅約2.2mと狭くなっている。これまでの調査で埴輪は確認されておらず、葺石の有無は不明である。残された後円部は未調査であるが、古墳時代中期の築造と考えられている。
行人塚の名は、むかし行人(行者)が生きながら埋葬されて入定(死去)したという伝説に由来する。
平成28年3月 掛川市教育委員会
平野にポツンとあるように見えるが、右の木立の奥は崖になっている。
すぐ背面、古墳の南側には牛舎があった。
少し切り立っている道沿いのところに、かつては前方部が続いていた。
墳丘に上がらせて頂いた。
墳頂の切り株。
墳頂から北側。 目の前は茶畑。
北西側。
西側。背後の山中にはヤマハのテストコースがある。
東側。