4月末の遠江古墳探訪記の再開です。
掛川のスマイルホテルに泊まって翌朝8時に駅前でレンタカーを借りた。
最初に目指したのは掛川市の和田岡古墳群の各和金塚古墳(かくわかなづかこふん)
段丘の下から道がついているように見えたので田んぼの中の細道を進む。斜面は茶畑。
すれ違いできそうな場所を探して車を停めた。
グーグルマップにあった「道」
とても荒れていたが進めるところまで行って振り返ったところ。足元に気を取られていたらクモの巣をかぶってしまった。
その先は膝上くらいまで、みっしり草が繁っていたので撤退した。
そのあたりからの東側の眺め。
後で調べると段丘上のゴルフ場東縁からのルートが正解とわかったが、現地では心の余裕が無くなって次の目的地へ進んだ。
北に進んで段丘を上がった、わかりやすい場所に墳丘があった。
説明板の後ろには車を停められるスペースもある。
史跡 和田岡古墳群
瓢塚(ひさごづか)古墳 平成8年3月29日指定
和田岡古墳群は、原野谷川が形成した河岸段丘の南北約2.5km、東西約1.0kmの範囲に造営された古墳群で、古墳時代中期(約1600~1500年前)に築かれた前方後円墳4基と円墳1基が、国の史跡に指定されている。
これらは、原野谷川中流域を治めた有力者の墓として認められている。
瓢塚古墳は、和田岡古墳群の中では各和金塚古墳に次ぐ大きさで、段丘の東縁辺部に位置し、前方部を南南西に向ける前方後円墳である。古墳の規模は以下のとおりである。
全長63.0m 後円部直径37.8m 後円部高さ5.0m 前方部幅25.2m 前方部長さ25.2m 前方部高さ3.5m
後円部の北東側には、幅約7mの周堀が巡っているとみられる。葺石は、墳丘斜面全体に葺かれているが、段築は確認されていない。
明治30年代に後円部墳頂が発掘され、埋葬施設は棺を粘土で覆った粘土槨であったと伝えられている。この時出土した捩文鏡1、四獣形鏡1、勾玉2、管玉2、鉄剣片、鉄鏃片が残されている。その後の調査等で円筒埴輪と壺形埴輪が出土している。
出土遺物から古墳時代中期初め頃の築造と考えられる。
平成28年3月 掛川市教育委員会
説明板の実測図。 長軸は北北東を向いている。
各和金塚古墳から1kmほどの距離になる。
前方部左(西)裾から、奥が後円部。
前方部に上がって後円部方向。
振り返って、前方部の縁から南側。
くびれ部から後円部。
後円部墳頂から前方部。
後円部墳頂。
後円部の斜面。
杉林の向こうは茶畑だった。
後円部から前方部。西側斜面。
後円部から東側斜面。右奥は前方部。
東側裾に降りて、くびれ部(鞍部)を。
前方部の東側斜面。
前方部右(東)裾から。奥が後円部。
なかなか形のよい墳丘で、ハイになれた。