墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

光明山古墳への往路・天竜二俣の街並み 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣

2018年のゴールデンウィーク前半の4月29日、静岡県浜松市天竜区の光明山古墳での現地説明会に参加。せっかく遠江国まで行くので掛川で一泊して周辺の古墳を巡った。

 

朝一番のこだまに乗車。静岡駅手前で車窓から谷津山古墳のある丘を。

 

昨年12月に訪ねた、眺めのいい墳丘。

 

今回はさらに一駅進んで掛川駅で乗り換え。

初めて乗る天浜線天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線

 

一両編成の気動車

 

新幹線と対照的なホーム幅。

 

先頭に近い席に座れた。目指す二俣本町駅までは50分ほど。

 

掛川駅を出ると西北西に直線区間があり、桜木駅を過ぎると北北西への直線になった。

街中もあれば田園もあるが、こんな緑のトンネルも!

 

架線が無く、単線なので先頭からの景色がいい。

 

のんびり揺られて、古墳への最寄り駅・二股本町で下車。

目的地までは徒歩26分、説明会は10時からでこの時点で9時10分。

 

誰もいないホームで乗ってきた車両を見送る。

 

一応、駅名板を。

 

改札はあるが駅としては無人

 

外から見た駅舎。左の手打ちそばに惹かれたが支度中だった。

 

駅の壁に貼られていた、まちのお宝紹介。

 

思わぬ「お宝」に期待が高まる。

 

昭和が香るメインストリート。 

 

素敵な木造三階家。駅にあった解説によると昭和40年代まで営業していた旅館、旅館となる前は「福田屋」という料亭で、「すきやばし次郎」の小野次郎氏は東京に出る前にここで修行していたそうだ。

道路拡幅以前には前庭があったという。


二俣は秋葉街道、鳳来寺街道、塩の道、天竜川の水運などの交通の要衝で、明治期には旅籠宿19件、木賃宿11軒、料理屋が32軒も立ち並んでいたとのこと。

 

こちらは今も続いている二俣医院。 

 

ペパーミント色の板壁が美しい。チョコレート色の付け柱や窓枠がアクセントになっている。


大正5年の竣工で、大正から昭和初期にかけて繭の集積地として栄えた二俣町を象徴する洋館。
かつては2階に、畳みの上に布団敷きという入院施設(病室)があったそうだ。

 

隣にある蔵は、明治36年に移築されたものだが、1階には6帖・4帖・10帖の間が蔵座があり、窓や出入口は外から鉄扉ー漆喰戸ーガラス戸(または障子)の三層になっているという。

 

こちらは街区の西端にある旧・二俣町役場、現・本田宗一郎ものづくり伝承館

竣工は昭和11年(1936)、木造2階建て寄棟造り、独立柱を建てたやや背高いポーチが特徴的な洋式の事務所建築。当時は1階はカウンターを持つ事務所空間、2階は椅子式の議場として使用されていたとのこと。


平成21年から、この地で生まれ育った本田宗一郎の「人となりや、ものづくり精神を伝承する」見学施設となている。開館する10時の前だったので外観のみで。

http://www.honda-densyokan.com/

 

その近くには諏訪神社。 

 

振り返ると、丘の上の清龍寺境内から下の井戸に水を汲むための櫓が聳えていた。

 

再び街中へ。「ヤマタケの蔵」のあたり。

かつては、材木や繭を扱う商家の旧内山社団の事務所と住居があった場所で、3棟の蔵だけが残る。完成は大正12年(1923)で現在はギャラリースペース等になっている。

http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=category&mode=detail&article=953

 

こちらは間口が狭いが、緩い傾斜の屋根で奥へ延びる造りがわかりやすい建物。

 

こちらは横町通りの建物。

 

中の様子はわからなかたが、通りに面して土間の「みせ」があり、土間は裏庭までつづくという典型的な町屋の特徴をよく残しているそうだ。

 

裏道にも蔵が並ぶ。 

 

10時が近づいてきたので、光明寺を目指して残り半分の道程を進む。

途中の分かれ道で「熊」のサインが。車で30分ほど行くと「道の駅くんま」もある。

 

熊方面ではなく、秋葉街道を北へ歩いていくと、古墳がありそうな小山が見えてきた。

ちなみに秋葉街道を15km(車で20分程)北へ行くと、秋葉山本宮秋葉神社(全国の秋葉神社の総本山、つまり神田秋葉原の由来にもなる)があるそうだ。

つづく。