墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

神明塚古墳・片浜海岸 静岡県沼津市松長

前回のつづき。

東田子の浦駅に近い2つの古墳を見学後、東に2駅分移動して片浜駅に近い神明塚古墳へ。

 

住宅街の細い道を抜けた先に南面して墳丘への石段があった。

 

その左(西側)方向。社が建つのが後円部で、西側に前方部がついている。

 

道に向かって説明板があった。神明塚古墳は全長53m、古墳時代前期(3~4世紀)の、前方部が短い形をした前方後円墳

沼津市指定史跡 神明塚古墳
指定 昭和45年2月19日
この古墳の発見は戦後まもなくのことで、昭和23年には前方後円墳であることが確認されました。その際、後円部頂に神明社が鎮座することから、神明塚古墳と呼ばれるようになりました。
昭和56年、地元自治会から保存整備の要望書が提出されたことで、保存整備に向けた測量調査及び発掘調査が実施されました。
また、平成15年には、沼津市史編纂に伴う再発掘調査も行われています。その結果、この古墳の全長は約53m、後円部径約37mであることが判明し、また後円部と比べて前方部が短い形をした、古墳時代の中でも比較的古いと考えられる墳丘形態をもつことがわかりました。埋葬施設としては後円部頂で粘土槨の一部が確認されており、箱形木棺の使用が想定されています。
神明塚古墳は、出土した土器の年代から古墳時代前期(3世紀~4世紀)に築造されたと考えられます。沼津市には3基の前方後円墳が残されていますが、この年代はそれらの中でもとりわけ古い年代であるといえます。
沼津市教育委員会

 

沼津市のサイトには、全長約54mで周溝が廻り、造営時期は3世紀後半の古墳時代前期中葉~後葉とある。

http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/kofun/shinmei.htm

 

説明板の先から振り返ったところ。左に少し膨らんでいるのが前方部。

 

北側に回りこんで、左が前方部、右奥が後円部。

 

くびれ部のあたり。

 

 

前方部から後円部。

 

前方部の南斜面に大きな石碑があった。

 

さらに回り込んで、北東側から。正面が後円部で右奥が前方部。

 

すぐ背面には東海道線が通る。奥は愛鷹山だが墳頂からは望めなかった。

 

後円部の東側の小公園と八幡宮

 

 八幡宮側からの石段を上って振り返って。ここが後円部の先端になる。

 

後円部墳頂に鎮座する神明宮は瓦屋根が非常に立派だった。

 

地域で大切にされてきたことがわかる御由緒。

神明宮
鎮座地:沼津市松長字上ノ段
御祭神:天照皇大神
例祭日:10月17日
由緒
創紀は元和2年(1616)3月と伝えられ、3~4世紀に築造された古墳の頂きに在る。以来380年鎮守社として氏子、地域住民の崇敬を集めてきた。その間幾多の風雪にあうも区民一体で保存に努めてきた。明和年(1772)老朽化により再建、大正8年1月隣境失火により類焼、灰燼となり直ちに再建に着手同10月現在の社屋が落成した。依頼維持補修に努力し今日に至っている。

 

なかなか広い墳頂。

 

墳頂から南側、最初に見た石段を。500m先が片浜海岸になる。

 

墳頂から北側。墳丘が削られなくてよかった。

 

後円部墳頂から、西側の前方部。

 

踏み切りを渡った先からも墳丘を写してみた。

 

神明塚古墳の見学後、せっかくなので海岸へ出てみた。

 

松林のグリーンベルト・片浜公園を抜け、堤防で振り返ると愛鷹山

 

堤防からの眺めは古代と同じか。

左から延びているのは伊豆半島の西の肩。距離は10km。

 

高く長大な堤防を降りて海岸へ。

 

小屋の脇に並んでいた4艘。

 

西方向の遠望。長く弧を描く海岸線。

駿河湾のカーブに沿って右から左に、静岡市焼津市牧之原市御前崎市となる。

直線距離で、静岡市久能山まで約35km、御前崎まで約80km。80kmを東に向かえば横浜に着く。 

 

海辺は砂浜ではなかった。

 

そこから東方向。結構傾斜があった。

エントリをまとめているときに、このすぐそばに沼津市文化財センターがあったことを知った・・・

 

海辺でくつろいだ後は、せっかくここまで来たので沼津港近くの著名店へ立ち寄った。

http://www.uogashi-maruten.co.jp/uogashi/

 

名物(?)のマグロテールシチュー、とてもおいしゅうございました。