国史跡・浅間(せんげん)古墳は岳南鉄道の神谷駅から徒歩11分、東名高速道路を跨ぐ橋の先にある。道は狭く急で、駐車スペースは殆どない。
東名に架かる橋から見た墳丘。
橋を渡って墳丘への階段を登ったところ。南西方向で奥は伊豆半島。
南東側。奥は田子の浦あたり。
鳥居の後ろから。
鳥居の先に浅間古墳があった。
神社が鎮座する”後方部”へ上がる階段。
その脇の説明板。
国指定史跡 浅間古墳
墳形:前方後方墳
国指定年月日:昭和32年7月1日
本墳は愛鷹南麓の丘陵、海抜50mに位置し、静岡県内でも最大級の大型古墳です。
未発掘のため詳細は明らかではありませんが、4世紀半ばから後半にかけて造られたスルガノクニの王墓と考えられます。
墳丘全面に葺石が施され、一部に周溝と思われる凹地が認められます。その規模や立地から、当時この地域が政治・社会・文化の重要な位置を占めていたことを示す、極めて貴重な文化財です。
平成29年3月 富士市教育委員会
後で調べると「平成23年度市民文化財めぐり 富士・愛鷹山麓の古墳を訪ねて」という資料がヒットした。
その資料によると浅間古墳の規模は全長 90m以上、高さ7mとのこと。
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/sp/kyouiku/c0403/fmervo000000rbkh-att/fmervo000000reu0.pdf
左が後方部、右が前方部になるが樹木の陰で墳形はわかりにくかった。
手摺りが役目をしっかり果たしていた。
墳頂の社殿に参拝。
社殿に向かって右方向、後方部から前方部。
後方部の先端から見た社殿。
社殿の北側。
前方部の端から後方部。
くびれ部から北側裾に降りて。
浅間古墳の北側には農家があって行き止まり。古墳の外側を時計回りに戻ってみる。
きれいな茶畑。
ズームすると海面も写った。
もういちど階段上の鳥居から。
浅間古墳の築造時(4世紀後半)には目の前まで海が広がっていたか。
それともすでに開墾された田が広がっていたか・・・
このあと訪ねた庚申塚古墳や山の神古墳は3km南の、海岸に近い東海道線沿いに6世紀末頃に造営されている。
今は、スピードに乗った新幹線がひっきりなしに通っている。