2ヶ月前の3月中旬の土曜日、三島・清水のいくつかの古墳と、富士宮の富士山世界遺産センターを訪ねた。
朝一のこだまに乗って三島駅で下車。この時期の富士山はまだ白く輝いていた。
今回は三島駅前からレンタカーを利用。
最初に新東名に乗って一時間弱の三池平(みいけだいら)古墳へ。
清水いはらICから車で4分、清水ナショナルトレーニングセンターの入口脇にあった。
駐車場に立っていた石碑。
トイレの近くにあった案内図。きれいな前方後円形。
わくわくしながらスロープを上がる。
大きな墳丘が現れた。
三段築成に美しく復元された墳丘だった。長軸上に階段がついている。
階段から二段目のテラス左側。
二段目のテラス右側。
後円部墳頂。主体部が墳頂上に復元されている。
長軸と直交する竪穴式石室(の天井石)
短軸方向から。
柵の前に説明板があった。
静岡県指定史跡 三池平古墳
静岡県指定史跡三池平古墳は、標高55mの丘陵上に位置する5世紀初頭の前方後円墳である。この古墳は昭和31年に発見され、昭和33年に発掘調査が行われた。墳丘は全長約68mを測り、三段築成である。一段目の墳丘は丘陵の南西方向のみに設けられ、その上に二段目、三段目の墳丘が築造されている。主体部は板石を小口積にした竪穴式石室の中央にくり抜き式の割竹形石棺を納めたものである。石室内と石棺の内面には朱が塗られていた。主な出土遺物としては、変形方格規矩四神鏡、四獣文鏡、筒形銅器、帆立貝形石製品、紡錘車形石製品、鉄刀、鉄剣、鉄鏃、刀子、鏨、鉄斧、鉄鍬先、鎌、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、ガラス玉、車輪石、石釧などが出土した。また被葬者は骨の分析から比較的若い成人男性と考えられている。同様の主体部の構造は、これより東国のこの時期の古墳からは発見されておらず、出土遺物も帆立貝形石製品など特殊なものもみられることから、この古墳の重要性を知ることができる。
墳丘の復元にあたって、墳丘の形状は墳頂部側がすでに削られ検出できなかったためくびれ部の角度を基準にして復元した。石室は保存のために埋め戻し、墳丘上にレプリカを設置した。排水溝は石室からくびれ部付近に向け墳内に排水溝が設けられていたが、墳丘上に復元した。裾石は部分的に墳丘裾に復元した。
平成21年11月 静岡市
主体部の断面図と平面図。
発掘された時の石棺蓋。
朱が塗られたその内部。
静岡市のサイトにも詳しい説明と写真があった。
三池平古墳は、尾根の先端の自然地形を利用して築造されている全長65m、後円部径43m、後円部高さ5m、前方幅36m、前方部高さ3.2mの前方後円墳で、古墳時代中期初頭(5世紀前半)に築造されたものと考えられます。庵原中学校の東側の丘陵にあり、昭和33年に調査が行われました。
後円部には粘土などで覆われた竪穴式石室があり、そのなかに安山岩で作られた割竹形石棺があります。石棺の中は水銀朱が塗られており、成人男子の骨や装身具類(石釧・小玉・管玉など)が、石棺外側には、鏡(変形方格規矩四神鏡・四獣文鏡)・筒形銅器・武具・農具などがありました。この地方を治めていた有力豪族の墓であることが想像できます。古墳は復元整備されており、現地では天井石を見ることが出来ます。
出土遺物は静岡市埋蔵文化財センターで保管しており、一部展示しております
http://www.city.shizuoka.jp/000_002435.html
鍵穴の形はグーグルアースによく映える。長軸は北西ー南東を向いている。
後円部から南の方角には日本平が見える。
前方部の先には、駿河湾を隔てて伊豆の山々。
雲はあったが伊豆方面の山並みはよく見えた。
パノラマで。
前方部の端から見た後円部。
パノラマで。
前方部の先端から下方向。
下へ降りて見返した前方部裾。
降りたところの案内図は色褪せていなかった。
前方部端からテラスの小道を巡ってみた。
前方部の南角。
見上げた墳丘。右が前方部、左に後円部。
くびれ部の裾から見た後円部。
後円部(2段目上)に戻って、そこから眺める清水の街並み。
さらに右(西)に目を転じる。
梅が満開の時期だった。
北側の、清水ナショナルトレーニングセンター。
墳丘を、北西側からパノラマで。