墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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摩湯山古墳 久米田貝吹山古墳 大阪府岸和田市摩湯町・池尻町

前回のつづき、次に目指したのは国史跡・摩湯山(まゆやま)古墳。

JR和泉橋本駅から天王寺方面へ4駅乗って久米田駅で降りた。

徒歩だと43分とあったのでタクシーがいなければパスするつもりだったが、幸いにも客待ちが数台ある駅だった。

 

運転手さんに行き先を告げると、動物の調査ですかと聞かれた。

はじめは岸和田弁(?)がきつく、3割くらいはわからなかったので聞き違いかと思っていたら、よく聞くと摩湯山古墳は立入禁止で野鳥やたぬきなどが多く棲息していることから、そんなところへ行くのは動物調査の人ぐらいだと思われたとのこと。

墳丘を正面に見る停留所「摩湯」のそばで降りた。

 

濠を渡る堤はあるが、フェンスは施錠されていた。国指定史跡で、宮内庁管理の陵墓でもないのに入れないというケースは予想外だった。

東京の亀甲山古墳も墳丘へは入れないので国史跡だから見学可とは限らないが、グーグルマップには「摩湯山公園」とあるので入れるものだと思い込んでしまった。

 

現地説明板は石に刻まれたもの。

史跡 摩湯山古墳
昭和31年5月15日 国指定
西北流する牛滝、松尾の二川の間、南より延びる丘陵の製北端に位置し、前面の平野を一眸に望む景勝は、規模の大きさとともにこの古墳の容姿をよりいっそう際立たせている。丘陵の先端を利用して築造されたもので、丘の方向に従って東南から西北に主軸を置く前方後円墳で、全長約200m、前方部幅約100m、後円部径約130mを測り、墳丘には埴輪の列も認められる。その形態の特徴から古墳時代前期のものと思われ、和泉地方を代表するばかりでなく全国的にも重要な古墳である。
平成7年3月 文化庁 大阪府教育委員会 岸和田市教育委員会

 

堤から右手、くびれ部から前方部の姿。全長200mは大きい。

岸和田市のサイトによれば、築造時期は4世紀後半頃で前期古墳としては大和地方以外では最大級。被葬者はその時代、泉州地域で大きな勢力をもった在地首長の墳墓と推定されるが、本格的な調査は行われていないそうだ。

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/mayuyamakohun.html

 

帰り道もタクシーでないと厳しいが待機できる場所がないので、バス停近くの社の前で待ち合わせた。最初に参拝。

 

後円部を右手に見ながら、入れそうな道を近寄ってみる。

 

フェンス沿いの道に出た。右が後円部。

 

墳丘の様子はつかめず。

 

これなら多くの動物が暮していそう。

 

行き止まり箇所。左はため池。右が墳丘。

 

タクシーと無事合流して、車窓から見た摩湯山古墳。

 

前方部の角。

 

そこから左周りに道路が続く。

 

前方部の先端あたり。

 

前方部の反対側の角。右奥が後円部になる。ここで墳丘とお別れ。

 

調べていたらこちらに地元小学生の現地見学会の様子が紹介されていた。

http://kishibura.jp/blog/umeda/2012/06/200m.html

 

久米田駅に戻ると、次の電車まで20分ほど時間があった。何気なく案内板を見ると、なんと「貝吹山古墳」と書かれた前方後円墳が! 

 

グーグルマップで徒歩11分とあったので、早足で行ってみることにした。商店街の一本道だったが、緩い上り坂で少しこたえた。

道がカーブするところに入口が。

 

大きな墳丘を前にして、疲れを忘れた。

 

墳丘では小学生4人が遊んでいた。

 

後円部から望む南東側の山並み。

 

北側の街並み。

 

ツインタワーが望めた。

 

後円部から前方部方向。 

全長130mの前方後円墳で4世紀後半の造営になるとのこと。古くから諸兄塚と呼ばれ、奈良時代の有力豪族橘諸兄の墓と伝えられてきたそうだ(後述の説明板から)

 

くびれ部あたりまで降りて振り返った後円部。

 

前方部裾あたりから後円部。

 

前方部の端か。右に後円部。 

 

墳丘の隣に池があった。周濠の跡か。

 

池の先にも公園が続いていたが時間がなかったのでここで引き上げた。

 

 

久米田駅に戻ったときに「歴史案内マップ」を発見。

 

そこにあった貝吹山古墳の説明。「現地に説明板あり」とあった・・・

久米田古墳群(貝吹山古墳)市指定史跡
全長約130m、後円部径約82mの4世紀中頃の前方後円墳です。古くから諸兄塚と呼ばれ、奈良時代の有力豪族橘諸兄の墓と伝えられてきました。これは諸兄が隣接する久米田寺の檀家だったとされてきたことによります。

 

なんと、さきほどの池の脇の小道の先には全長71m、円墳部径59mの風吹山古墳もあった・・・

 久米田古墳群(風吹山古墳)市指定史跡
貝吹山古墳・摩湯山古墳に続き、5世紀前半頃に造られた帆立貝形古墳です。この地域の首長墓と推定されています。
甲冑や刀、銅鏡、鉄刀、大量のガラス玉等、豊富な副葬品が出土しています。

 

岸和田市のサイトによれば、久米田古墳群は池尻町付近の標高35~40mの久米田丘陵にあり、現在でも8基が確認され、貝吹山古墳・風吹山古墳・無名塚古墳の3基が久米田公園の中に整備されているそうだ。
摩湯山古墳から始まって岸和田市近隣では貝吹山古墳と同等の古墳が造られていき、時代が下るにつれて中央政権と和泉地域の首長との関係の変化などから大規模な古墳は造られなくなったとのこと。

貝吹山古墳の発掘調査では墳丘に埴輪が確認され、後円部には盗掘を受けてはいたが石棺と銅鏡、銅鏃、鉄製かぶと、腕輪形の石製品などの副葬品が発見されている。さきほどの池は周濠の痕跡の一部だった。

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/kumeda-kofungun.html