墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

今井町 奈良県橿原市今井町

前回のつづき。

天理から橿原神宮へ向かう途中、まだ日があったので以前来た時に気になっていた今井町へ寄ってみた(写真多めです)

 

近鉄八木西口駅で下車してJR桜井線の高架をくぐる。

 

煉瓦造りの橋脚に眼を奪われた。

 

小口積みと長手積みを交互に重ねるイギリス積み。

 

そこから飛鳥川を渡ると、街区の北東角に出る。 

 

江戸時代の家並みがそのまま多く残る「重要伝統的建造物群保存地区

 

伝統的建造物は町の全建物約1500棟のうち約500棟もあって全国で最も多く、重要文化財も9件。
戦国時代の天文年間(1532~55)に本願寺の今井兵部が称念寺を建立して一向宗の布教拠点となってから町が栄え、濠や土居、筋違いの道路や門を築いて武装化していたが、信長が本願寺を降伏させると堺の豪商や明智光秀のとりなしで武装放棄、その後は商工業都市として「今井千軒」「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほどに発展したのだそう。

五代綱吉の頃には幕府領となったが一千軒を有し、肥料・木綿・味噌・酒などの商いが盛んで財力もあった今井町には自治的特権が与えられていたとのこと。

 

東西約600m・南北約310mの、横長の碁盤の目のような町を、あみだくじを辿るように歩いた。

まずは北から2本目の路地を西へ。

 

 

少し下って振り返ったところ。最初だけ飛鳥川の堤から緩く下る。

 

隣にあった建物の跡が残るお宅。

 

白壁、板塀、瓦屋根の組み合わせが素晴らしい。

 

重要文化財・山尾家住宅の入口。18世紀後半の築。

見学ができる建物も多いが17時まで。この時は17時を過ぎていたので中へ入れる建物は無かった。

 

こちらは吉村家住宅。文化2年(1805)の築。

 

東西方向は長い一直線。

 

電柱が無ければ江戸時代そのものでは(今や電柱も”懐かし系”になりつつあるが)

 

道は順明寺に突き当たった。

 

門前で振り返って。 

 

上記の左側(だったはず)

 

こちらの筋には電柱がない部分もあった。

 

屋根の重なりが素晴らしい家。

 

街中に流れる小川と木戸。

 

やっと出会った人影。

 

格子戸の内側に人の気配はあるが、なぜか外に出ている人が少ない。夕餉の支度中であったか。

 

重文・音村家住宅は17世紀後半の築。

 

感動的な細道。

 

こちらも重文の旧米谷家住宅。18世紀中ごろの築。

 

格子窓、連子窓、壁や塀は様々なバリエーションがあって見飽きない。

 

迫力の瓦屋根。

 

かなり先に、着物女性を発見したので急いでズーム。一瞬の出来事だった。

 

重文の中橋家住宅。

 

町の発展のきっかけとなった称名寺の山門。

 

その称念寺の太鼓楼。

 

床屋のサインにも一工夫が。

 

こちらの豊田家住宅は寛文2年(1662)の築で、やはり重文。

 

材木商だったので屋号を表わす「木」の字が大きく描かれる。

 

側溝のある路地。

 

少しくねくねの路地。 

 

町の西端にある今西家住宅。慶安3年(1650)の築で重文。

 

その北側の道にはクランク状の筋違いの箇所があった。

 

シンプルなロゴが素晴らしい。

 

再び遠くに着物姿の方を発見。道で立ち話をする人も、ここで唯一お見かけした。

 

道幅が変わる南北の筋。

 

板壁とサビ壁の競演。

 

どこを歩いているのか、わからなくなるのも楽しい。

 

こちらは杉玉が下がる酒屋さん。

 

その建物は18世紀中ごろの築でやはり重文だった。

 

説明板があるとついつい撮ってしまう。

現地で読んでこそ意味があるが、その時間はなかった。次の機会できちんと訪ねたい。

 

橿原神宮の宿周辺には食事できる店が少ないようだったので、今井町で探したら1軒だけ営業していて助かった。ふきのとうの天ぷら、出世男と言う地酒、大変おいしゅうございました。

 

粋庵(すいあん)という蕎麦屋さん。

https://tabelog.com/nara/A2903/A290302/29003716/

 

最初に通った路地にあった。

 

その後は橿原神宮へ行って橿原観光ホテルに泊まった。大浴場はなかったので、道すがらに見かけた銭湯、栄温泉へ行ったらとてもいいお湯で疲れがとれた。

 

超穴場かと思っていたら、たまたま自分が読者になっているダイキさんのブログで最近見かけてびっくりしました。

 http://www.da0424.net/entry/2018/04/22/103315