墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

ふるさと納税・古代豪族の里を巡る歴史探訪ツアー(2018年3月 天理市主催)

今回からが、いよいよ古墳巡り

2018年3月11日に実施された、天理市主催の「古代豪族の里を巡る歴史探訪ツアー」に参加したときの様子。

ふるさと納税の寄付3万円への、お礼の品(集合・解散は天理駅前)

https://www.furusato-tax.jp/product/detail/29204/346578

以下は上記サイトの解説。

天理市の北部から中央部にかけては、物部氏やワニ氏などの古代豪族の本拠地であり、地域に点在する古墳や神社などが今もその名残を留めています。天理市文化財課職員が皆さまをご案内し、古代豪族の興亡の謎に迫ります。

 

文化財課の方々の解説は詳しくかつわかりやすく、普段は入れない場所へも案内していただき、非常に充実した感動モノのツアーでした。

関係各位に改めて御礼申し上げます。

 

まず、天理駅から市のバスに乗って天理市文化センターへ向かった。

この日に訪れる場所についての概要とともに、古代のこの辺りに拠点を置いていた(つまり古墳の被葬者とも推定される)氏族である物部氏とワニ氏についての講義を受けら。

 

古代の奈良盆地には周囲を取り囲む山裾に複数の有力氏族が拠点を築いていたが、北西から左回りに平群氏、葛城氏、巨勢氏、羽田氏、蘇我氏、大伴氏、そして大和(おおやまと)地区から北、現在の天理市辺りは中央部が物部氏、北部がワニ(和邇・和珥)氏の本拠地であった。

 

物部氏は、587年に物部守屋蘇我馬子に敗れた後も命脈を保ち、686年頃には石上氏が物部本宗家の地位を受け継いで、708年には石上麻呂左大臣に、8世紀後半には石上宅嗣芸亭(日本初の図書館)設置するなど隆盛したとのこと。

 

日本最古の神社の一つである石上神宮天理大学のすぐ東に鎮座しているが、神社のサイトによれば、「武門の棟梁たる物部氏の総氏神」であり、崇神天皇の時代(3世紀?)に現在地の石上布留(ふる)に祀られた、とあった。

http://www.isonokami.jp/about/index.html

 

一方で天理市北部、今もその名が残る和爾(わに)町や櫟本町あたりが、ワニ(和邇・和珥)氏の本拠地だった。
ワニ氏は、物部守屋蘇我馬子のような著名人はいないものの応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達の各天皇に后妃を出し、後の春日、大宅、櫟井、粟田、小野、柿本の各氏へとつながっていく、ファミリーとしては極めて有力な氏族であったとのこと。

ちなみに琵琶湖の西側、湖西線にも「和邇」駅があり、ひとつ南に「小野」駅があることも紹介された。

 後でWikipediaを参照すると、ワニ氏は2世紀頃に日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ鍛冶集団との説が記されていた。琵琶湖西岸を伝って奈良盆地の北部にやってきたのだろうか。

 

下記は講義の中で示された、古墳時代における天理市内の主要な古墳・遺跡の移り変わりの図。

最上段の白地がワニ氏の古墳群だが、4世紀後半の古墳時代前期と6世紀の後期に古墳が築かれている。古墳時代前期の前方後円墳である東大寺山古墳、赤土山古墳、和邇下神社古墳は、いずれもこの後に現地を訪ねた。

 

講義を受けた会場では埴輪の展示もあった。 わざわざこのツアーのために搬入していただいたもの。

 

東大寺山古墳出土の埴輪が2点。

こちらは鰭(ひれ)付きの朝顔型円筒埴輪。高さは150~160cmぐらいだったと記憶。

 

円筒の上部に壺型を載せた形が発展したものだが、この埴輪自体も丸い肩の部分から上は取り外しができるようになっていた。

 

円筒の周囲には細い帯のような突帯が巻かれるが、 制作時の巻くときにつけられた穴がそのまま残っている。

”鰭”は、古墳と外の世界との遮蔽度を高める意図があったようだ。(下記の、宮内庁の別の資料の解説より)

http://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/syuzou-r13.html

 

手を伸ばして上から撮影。

 

こちらは東大寺山古墳出土の、少し上部が開いた円筒埴輪。

円筒埴輪の側面の穴は中心線の対面側にも空けられることが多い。棒を通して持ち運ぶためという説もあるようだが、文化財課の職員の方もはっきりしたことはわからないとのことだった。

 

今でも神道の神事で使われるお供え物の台・三方(さんぼう:月見団子を載せる台にも)は、円筒埴輪に由来するように思えるが、ちょっと調べただけではわからなかった。

 

上から覗き込んで。

 

ほかに、赤土山古墳から出土した形象埴輪が3点展示されていた。

こちらは短甲形埴輪。下半身だけとなった武人。

 

甲の鉄板をつなぎとめる革紐がリアルに再現されている。

 

別の角度から。

 

 こちらは「冠帽形埴輪」 はじめて見る形だった。

 

後頭部側(?)から。防具ではなく祭祀用だったのか。 

 

こちらは囲形埴輪と家形埴輪のセット。 

 

上から見たところ。囲いの出入口は一ヶ所。

 

美しい屋根のカーブ。壁の一部には(水を流すための?)穴が空いている。

 

昨年三の丸尚三館で見た、御廟山古墳出土の囲形埴輪と似た造り。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2017/11/18/000000

家はおそらく祭を表したもので、囲いは中で行われていた儀式を見えなくする意図と推測されるそうだ。

 

5/6まで開催中の「世界の眼で見る古墳文化」展でも大規模な囲形埴輪の展示があった。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2018/04/05/000000

藤井寺市の狼塚古墳出土の見事な埴輪群は市のサイトに写真がある。

http://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/kodaikaranomesseji/hakkutumitearuki/1387504045305.html

建物の意味することろは、祭祀のための導水(浄水)施設や、殯所(もがりじょ)や産屋の施設などの説もあるようだ。

 

 

出入り口は一段高く、上部の鋸歯状の装飾もよく残っている。

 

建物の柱は平面が四角形であったことが埴輪から見て取れるとのこと。

 

入口の反対側の壁に下にも半円形の穴が空いていた。 

 

会議室で持参した昼食を済ませ、最初の目的地へ向かった。

 

ちなみに前回参加したときの様子はこちらです(今回も多分9回シリーズ)

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/12/225328

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/13/155141

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/13/224330

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/14/183000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/14/213000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/15/183000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/15/213000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/16/163000

http://massneko.hatenablog.com/entry/2016/03/17/163000