墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

桜満開の弘法山古墳 長野県松本市並柳

今回の墳行の主目的地、弘法山古墳へ向かっていたときの、非日常な風景。

 

小山全体に桜が植わっている。 弘法山古墳はその頂上にあるが花に隠れて見えない(2018/4/9)

墳頂に立つ人の姿だけがポツポツ見えた。

 

遅い時間に行ったからか奇跡的に空いた駐車スペースに停めて墳頂へ。

 

花のプロムナードの左側の風景。

 

右側の風景。

 

すぐに小山の頂き、墳丘の麓に到達。見えているのは後方部で、その向こうに前方部が付く。

 

振り返ってのプロムナード。

 

現地の説明板。弘法山古墳(こうぼうやまこふん)は全長66mの前方後方墳
築造年は古墳時代前期の3世紀後半と非常に古い。

 

後方部墳頂。 敷石で竪穴式石室の位置が示されている。実際の遺構は約1m下にあり、内法が長さ5.0m、幅1.3m、深さ93㎝で、そこに木棺が置かれていたと想定されるとのこと(「松本のたから」より)

 

新たに石室の説明板が設けられていた。

被葬者は東海地方とつながりがあったと推定されている。

石室
古墳時代前期に築造された古墳は、埋葬者が支配した地域を広く見渡せるような小高い山に築かれることが多く、国見が丘ともよばれます。
敷石は石室の位置を表示したもので、実際の遺構は約1m下に保護されています。松本平一円の河川から集められた石で造られた竪穴式石室には、現在の松本市域南部を支配した首長が埋葬されていると考えられています。
石室上部から出土した土器は、東海地方の影響を受けた様式をもつことから、埋葬者は東海地方とつながりのあった人物と推定されています。

 

出土品は松本市立考古博物館で見ることができる。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2017/08/16/000000

 

後方部から前方部、そして広がる松本市街。 

 

古墳と桜と眺望と。夢のよう。

麓からの比高差は約60mあり、古墳から望むことができる当時の推定水田面積は北に70ha、西に40haとずば抜けて広いそう(「松本のたから」より)

 

 前方部への軸は北西を向いている(濃い緑が桜の林)

 

右方向、北側の眺め。 

 

さらに右側を。

 

今度は前方部の左側、西方向の眺め。

 

上高地への入口、新島々の方面をズームで。

山の向こうから粉雪が吹き上げられて、こちら側に風花を降らせている。

 

墳丘の裾は桜で囲まれている。

 

 桜の下で撮影会。

 

前方部から見上げる後方部(後ろの木立を覚えておいて下さい)

 

くびれ部の斜面についた歩道から。

 

墳丘から下は桜の森。結構な斜度だが、いい場所で花見をしているグループがあった。

 

振り返って墳丘をパノラマで。左が前方部、右が後方部。

 

後方部の裾から前方部。

 

山を降りて、ドラッグストアの駐車場から。

 

後方部の後ろにあった木立が、桜アンパンのトッピングにようでは。

弘法山古墳探訪は今回で3回目。桜の時期に訪ねたいという夢がかなって嬉しかった。

 

昨年夏に行ったときの静かな墳丘。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2017/08/14/000000

 

5年前の夏は、誰にも合わなかった。

http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/07/29/100524

 

松本市のサイト「松本のたから」によれば、この地に古墳があることは早くから知られていたが前方後方墳として確認されたのは昭和49年、学校用地となっての発掘調査で、石室に完存していた副葬品などから東日本最古(当時)の古墳とわかり、2年後すぐに国の史跡指定を受けたとのこと。

 

墳頂には戦時中に高射機関砲が据えられたこともあるとのことだが、「いまや弘法山古墳なくしての科野(しなの)、ひいては東日本の古代史を考察することはできない」とまで記されていた。

http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/national/016.html