墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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遠寿院(荒行堂) 安房神社 千葉県市川市中山

前回のつづき。

法華経寺の山門(赤門)から50mほど北へ進んだ左手に、 遠寿院(荒行堂)がある。

 

その手前、埋めこまれた瓦は、魚の群れのようだった。

 

境内には見事な梅の古木がある。

 

文政年間、加賀支藩である越中富山十万石第九代藩主前田利幹(としつよ)公が子宝祈願が成就した記念に植樹したものだそう。樹齢は約200年。

 

小さな男の子が、花に顔を近づけて「バナナの匂いがする」と言っていたので、まさかと一応嗅いでみると実際にそのような香りがして驚いた。

 

この日は3月3日で、お堂の中でひな人形が展示されていた。

 

豪華な雛壇飾り。

 

ここ中山地区では、毎年2月中旬から3月3日あたりまで、町内70ヶ所でお雛さまが展示されているとのことだった。

おひなまつりチラシ

 

こちらは昭和6年のもの。

 

その解説文。

 

 

法華経寺の山門前を西に進んだ先の安房神社。

 

鳥居の横に御由緒が。

安房神社の御由緒
鎮座地 市川市中山4-3-2
御祭神 国常立命
    里見安房守
    大宮大権現
    山王大権現
御沿革
本社は江戸時代の諸書に「安房の須明神」または「安房の須祠」として記載されています。
なかでも江戸名所図会には「安房須明神社」として中山の北、池田というより北の岡にあり」と書かれ、挿絵を載せています。
はじめに祀られていた場所は中山村中山字砂原(現在の中山小学校敷地内)で、明治42年1月12日、同敷地内にあった妙見社境内(御祭神、國常立命)に移され、妙見社を合祀しました。さらに大正4年政令によって大宮大権現(中山4丁目・旧中山503番地)、山王大権現(中山3丁目・旧中山369番地)を合祀して現在地に建立されたのが、今日の「安房神社」です。
御神徳
開運・育児の守り神・縁結びの神として御神徳を顕されております(後略)

 

こちらも拝殿でも雛人形の展示があった。

 

こちらも豪華な七段飾り。

 

所狭しの賑やかさ。

 

女雛の冠は、3/3以外は手前の小さな台に置くのだそう。

 

神様もよろこんでおられたのでは。

 

安房神社近くの路地。傾斜とカーブがいい雰囲気だった。