墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

金弁財天 東京都新宿区河田町

前回のつづき。

ふたたび「あけぼのばし通り」へ戻って北へ。

右手の台地の端を削る工事は7階建てのホテルを造っていた。

 

その先は台地上のマンション群(UR都市機構河田町コンフォガーデン)へのアプローチ。

 

750戸が4棟に入る。

 

タワー型の1号棟は41階建て。台地の上で周囲に高層建築がないので見晴らしがよさそう。

 

斜面を利用した公開空地は広々としていた。

 

公園の先に、台地下に下りる階段があった。

 

ここも結構人通りが多かったが 、合間を縫って。

 

振り返った景色。

 

階段を降りて振り返って。

 

階段の左側には「金弁財天」があった。

 

金網で囲まれた祠。

 

その手前、左右を狛蛇(?)が守っていた。

下記の「あけぼのばし通り商店街」のサイトに解説があった。

この弁天様は江戸期、松平伯耆守の屋敷であったこの地にあったもので、戦後は朽ち果てていたものを、東京女子医大の創設者である吉岡彌生先生らが現在の地に再建したそうで、現在の敷地も東京女子医大病院の一画が提供されているそう。

http://akebonobashi.info/kon-sarasvati/

 

「東京時層地図」アプリより。

金弁財天の位置は、中央の東京女子医科大病院の敷地の下隅。

 

明治9~19年(1876~1886)の同エリア。

台地の上に松平邸、斜面下に弁財天のあった池が見える。おそらくその昔は南東の曙橋の方への流れがあったのではないか。

周囲には茶畑が広がっている。

 

かつては茶畑だったであろう住宅街の坂道。

 

少し登って振り返って。

 

坂名はなさそうだが、細くて傾斜のある、いい雰囲気の坂だった。

 

ぶらぶら進んでいくと、急に開けた場所に出た。 

環状4号線の一区画330m。 

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000010737.pdf

 

そこから曙橋方向へ100mほど行った都道沿いに永井荷風の旧居跡があった。

 

写真も入った説明板。

新宿区指定史跡 永井荷風旧居跡
所在地:新宿区余丁町14-3
指定年月日:昭和61年11月7日
小説家永井荷風(1879~1959)が、明治41年(1908)から大正7年(1918)まで住んでいたところ。
荷風は本名を壮吉といい、東京に生まれた。明治34年(1901)に暁星学校に入学し、フランス語を学び始めると、フランスの小説家エミール・ゾラに傾倒し、「地獄の花」「女優ナナ」の翻訳を発表して文壇に登場した。明治36~41年まで、父の命に従い実業家を目指して欧米に留学、帰国後この地に住んで創作活動に入り「歓楽」「冷笑」「すみだ川」などを発表した。
当時、腸を病みがちだった荷風は、この家の離れを「断腸亭」と命名し、その日記を「断腸亭日乗」と題した。
平成13年9月 新宿区教育委員会