前回のつづき(及び半年前の写真)
静嘉堂文庫の正門と道を挟んだ斜面にもなかなか広い緑地がある。
「世田谷区立瀬田4丁目旧小坂緑地」 という名のその場所には、戦前に建てられた見事な和風近代建築が残っていた。
入口は坂上に2ヶ所、坂の途中、坂下それぞれに1ヵ所ずつある。こちらが坂上の正門(昨年6月に一度訪れたがストックのままになっていた)
門の隣の解説板。
瀬田4丁目旧小坂緑地は、世田谷区の緑の生命線である国分寺崖線の斜面樹林の一部であり、園内には区指定有形文化財「旧小坂家住宅」と、紅葉と竹林が美しい湧水の流れる庭園があります。
ここは、かつて衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸として利用されていました。多摩川が近く、国分寺崖線の緑が多いこの地域一帯には、明治から昭和にかけて建てられた別邸が多くありました。都心から玉川電車で往来できるこの辺りは、当時の財界人の週末住宅として絶好の立地でもありました。
昭和12年に建てられた「旧小坂家住宅」は、別邸として現存する貴重な近代建築です。木造和風平屋建(一部2階建)で、萱葺き風の古民家を思わせる外観を持ち、南向きの斜面を利用した庭園と一体となった美しい景観を形成しています。また、庭園部分はコナラやトチノキなどの大きな樹木が武蔵野の雑木林の面影をとどめており、崖面からあふれる貴重な湧水は園内に潤いを与えています。散策路や木道を回遊しながら、国分寺崖線のみどりとみずを身近に感じられる空間となっています。ぜひお気軽にお立ち寄りください。平成28年3月
※この国分寺崖線の自然的環境を活かした旧小坂家住宅と庭園を後世に残すため、世田谷区が公園緑地として取得し、平成10年から一般公開しています。
解説板のマップ。正門と東門および住宅は丘上にある。
緑が濃かった6月、小雨の日。
こちらは今回1月下旬。左の木はモミジ。
くるくる巻きになりながらも枝についたままの紅葉がかなりあった。
こちらは建物の解説板。 1938年竣工なので今年でちょうど築80年。
世田谷区指定有形文化財(建造物)
旧小坂家住宅
指定年月日 平成11年11月24日
内訳:主屋一棟、中門及び塀一棟、表門一棟、裏門一棟、土地1,019,12㎡
附:棟札・昭和12年10月2日上棟の記のあるもの一枚、小坂順造レリーフ(銅製)T.SHIMIZU 1956の記のあるもの一枚
建築年代:昭和12年(1937)7月起工 昭和12年(1937)10月上棟 昭和13年(1938)9月竣工
この住宅は、衆議院議員などを歴任した小坂順造(1881~1960)が、別邸として建てたおのです。立地する国分寺崖線を上手く利用した屋敷配置により、良好な住宅空間を演出しています。
主屋は外観を和風、内部は各部で趣の異なった意匠でまとめ、別邸なれではの個人の趣向をこらした住宅になっています。特に玄関部分は古民家風の意匠をとっており、大正から昭和前期にかけて流行した民家風和風住宅を意識的に取り入れています。
当時の政財界人の生活・文化意識を良く表しており、建築史、文化史を知る上で貴重な遺構です。
また当時この辺りに多くあった別邸は、現存するものが他になく、地域史を知る上でも重要な住宅になっています。
平成24年7月 世田谷区教育委員会
小坂順造は信濃毎日新聞社長や衆議院議員などを務めた小坂善之助の長男で、自身も信濃毎日新聞社長や衆議院議員を務め、信越化学工業、東信電気、長野電灯を創業している。
玄関で上を見上げると迫力の木組み。
玄関を上がった先の通路。左が玄関、右が和室。
建物平面図。中央に和室を挟んで左右に洋室が雁行形に配されている。
二間続きの和室は茶の間(奥)と居間(手前)
茶の間から眺める庭(6月時)
ここにはテーブルが置かれていて、庭を見ながら飲み物(自販機あり)を飲んだりできる(1月)
茶の間と廊下を挟んで女中室に面した壁には「呼び鈴」があった。
和室から廊下を左奥へ行った洋室。
手前はレリーフや暖炉のある部屋。かつての寝室。
立派なシャンデリアが。
サンルームからの濃い緑(6月)
1月は日差しは溢れていた。
そのとなりは更衣室。
ミシンは三菱製。
寝室と居間の間には内倉への入口があった。
隣には大きな冷蔵庫も。
こちらは和室から右奥へ行った先の洋室・書斎。
庭方向の窓(6月)
暖炉の上にニッチがあり、そこに床柱があって和洋折衷になっていた。
こちらはお茶室。
6月では水面に雨の波紋があった。
1月の庭。芝生の先はすぐ斜面になっている。
縁側から外に出ることができた。振り返っての和室棟。
右には寝室とサンルームのある洋室棟だが、外観は和風。
ここは二階もあるが見学不可。
そのつなぎめ。
縁側を側面から。
和室棟の濡れ縁と書斎部屋。こちらも外観と室内の様子にギャップがある。
書斎棟の土台は石積みで補強されていた。
その下の斜面は木が刈られたところもあり、整備が進行中のようだった。
坂下の門のそばには庚申塔も。左は宝永5年(1708)、右は元禄2年(1689)の築で、玉川4丁目36番から平成13年にここに移された。
その説明板。
敷地に沿った坂道は緩くカーブしていた。