年が明けて1月2週目に愛宕神社へ参拝した。
こちらは一昨年(2016年)秋に参拝したときの写真。ストックしたままになっていた。鳥居の色が塗りなおされる前の状態。
今年は1月1週目に訪ねたが、参拝を待つ列が長かったので翌週に出直した。
1週目では石段の左右に提灯列があった。
2週目の石段。愛宕男坂(出世の階段)は標高25mの愛宕山を急角度で一気に上る。
「出世の石段」のいわれは神社のサイトに詳しい。徒歩で上るのも怖いくらいの斜度だが、明治、大正、昭和の各時代で実際に馬で上った人がいる。
http://www.atago-jinja.com/trivia/
北側の女坂もかなり急。
愛宕山は天然の山で、江戸期には見晴らしの名所として賑わったそう。
こちらのサイトには明治期(1890年代)の眺めが写っているが、素晴らしい景色。
OLD PHOTOS of JAPAN: 愛宕山からの眺め 1890年代の東京
愛宕神社のすぐ南側の地続きにNHKの放送博物館がある。
大正14年(1925)にラジオの本放送が始まった場所で、1956年に世界初の放送専門博物館として開館した。
一昨年ここに来た時には広場を守る(?)猫がいた。
博物館では放送機材や放送番組に関連する貴重な展示を無料で誰でも見学できる。
放送スタジオのセットも。
昭和のお茶の間の再現。
興味深かったのは昭和の時代のドラマなどの一部を動画で紹介している展示(撮影不可)
現在(2018年1月28日まで)企画展「ヒロインたちの肖像・連続テレビ小説ポスター展」が開催されている。1961年の「娘と私」に始まり「わろてんか」で97作目となるそうで、主役女優メインのポスター群は大変貴重な史料!
http://www.nhk.or.jp/museum/event/project_index1.html
このほかシアターで8K映像を鑑賞できたり、番組公開ライブラリーや図書・史料ライブラリーを利用することもできる。
放送博物館前の広場の端に、愛宕山を西側に降りる階段があった。
なかなか急な細道。
崖面にへばりつくような小路を降りる。
最後は愛宕隋道の西側に出る。
愛宕隧道の内部。内壁は最近の耐震工事できれいになっているが、竣工は昭和5年(1930)と古い。車道は東から西への一方通行。
東側のトンネル入口(2018年1月)
トンネルの左側には山頂へのエレベーターがある。
1階の次は山頂の2階。
振り返った先にNHK放送博物館がある。ここを使えば急斜面を歩かずに愛宕神社に参拝できる。
エレベーター塔には階段もついているが、途中から斜面に沿った遊歩道がついている。
愛宕山の東側を眺めながら歩く。
結構な上り道もある。
ワイルドな雰囲気の植生もあった。
愛宕山の山塊はNHK放送博物館の南側へも続いているが、途中にお寺の境内と2棟の高層マンションがあるので、一旦南側の大通りの峠道(?)へ回った。
「芝学園下」の信号のそばに清岸院への参道(エスカレーター)がある。隣の石段の先から振り返ると東京タワー(2018年1月)
大展望台の色は2016年10月の写真が本来の色。
足元の石段。
石段から左の道は民家の屋根の高さ。
その先は空地で行き止まりだったが、2018年1月では立派なお屋敷が建っていた。
清岸院の東側には、マップに「芝青松の杜」と記されるスペースがあった。
「智正庵」という青松寺の施設(お茶室?)がある、とても静かな場所だった。
http://seisyouji.p1.weblife.me/chishouan/chisouan.html
そこから東の麓へ降りる道があった。奥が愛宕グリーンヒルズMORIタワー。
MORIタワーの裏側を回っていくと青松寺の山門(2階)へ出る。
以前に来た時は山門の2階扉が開いていて、門の上からの眺めが得られた。
山門上から青松寺境内。
外側、通りの向こうに慈恵大学の建物が見えた(2016年10月)
港区ゆかりの人物データベースサイト 慈恵大学によれば、こちらは慈恵大学2号館F棟で、昭和5年(1930)に東京慈恵会医院として皇室下賜金と篤志家の寄附で建てられた。4階建ての鉄筋コンクリート造で設計は東京慈恵会建築部、施工は間組。
東京慈恵会病院は、幕末に生まれて軍医を勤め脚気を撲滅した医師・高木兼寛らが明治15年(1882)に設立した、「貧しい病者のための施療施設」を前身としている。
https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/man-detail.cgi?name=高木兼寛
ズームで(2018年1月)