墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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於多福坂 潮見坂 永坂 東京都港区六本木5丁目・麻布永坂町

前回につづいて、六本木5丁目界隈の坂道を。

このあたり。

 

鳥居坂を上って北へ向かうとスヌーピーミュージアムがある。

こちらの記事によれば、今年の9月までの期間限定ミュージアムのようだ。 

http://www.cinemacafe.net/article/2015/07/30/33074.html

 

敷地の外側は立派な煉瓦塀。

 

アプリ「東京時層地図」で調べると、 高度成長前夜はドイツ大使館、昭和戦前期は内大臣官邸、関東大震災までは三条邸と数十年ごとに建物が変わっていた。

 

 

 

さらに文明開化期を見ると、古墳のような土盛も・・・

(上記の地図よりも拡大しています)

 

スヌーピーミュージアムの北には、日本基督教団鳥居坂教会。

 

外壁の柱や鉄骨のような形の塔、5角形が連続する模様など興味深いデザインだったが、日本基督教団のサイトには設計者不詳とあった。

http://modern-building.jp/puritan.html

 

少し戻って通りの反対側、東洋英和女学院の門。

 

グーグルマップを見て、上記の門の北側の道を東に進むと、於多福坂の中腹に出た。

左手が坂上方向。

 

来た道を振り返って。左が東洋英和女学院、右がフィリピン大使館。 

 

於多福坂を上る。両側の石垣、頭上を覆う樹木がいい雰囲気。

 

突き当たりの電柱の影に、坂上側の標柱があった。

 

その説明文。

おたふくざか
坂の傾斜が途中でいったんゆるやかになって、また下ったので顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。

 

坂下方向を振り返って。

 

来た道を戻る。十字路から先が一旦平坦になる。

 

 その先はさらに下る。

 

下った先の標柱も、電柱の影にあった。

 

下から見上げた於多福坂。

 

下りきって西側に、車の進入を拒む急勾配の坂があった。

 

画面は水平です。

 

直角に曲ってさらに上る。

 

角の部分を。

 

坂下方向を。

 

坂上方向を。

 

坂上から角を振り返って。

現地に標柱はなかったが、 グーグルマップには「潮見坂」の表示があった。

 

潮見坂を再び降りて、於多福坂下のT字路を東側へ向かうと、上に高速が2層に通る麻布通り。

 

そこから南方向。

 

いい雰囲気の2差路があった。

 

その角の先端に、永坂の標柱があった。

ながさか
麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない。

 

麻布通りの幅広の坂道を示している。坂上方向。