墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

国史跡・日本遺産 足利学校 栃木県足利市昌平町

前回のつづき。

鑁阿寺参拝後、その南東に隣接する足利学校へ。

南側の入徳門へぐるりと回っていく。

 

入徳門の先に受付がある。一般420円。

 

受付を過ぎたところで新婚さんとすれ違う。花嫁さんの紅葉柄の着物に目を奪われた。

 

その先に学校門。

 

学校門の先には杏壇門(きょうだんもん)

 

その先には孔子廟。寛文8年(1668)の造営で、明の時代の様式と伝えられる日本に現存する最古の聖廟。

 

天文4年(1535)に造られた木造の孔子座像。天保2年(1832)に渡辺崋山が胎内銘を発見し製作年が明らかになった。

 

杏壇門の東側に方丈と庫裡の大きな建物がある。こちらは平成2年に復原された。

 

日本最古の学校である足利学校の創建時期については奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあるそうだ。

が、記録に残っているのは室町時代、永享11年(1439)に関東管領・上杉憲実が鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ:校長)としてからとのこと。天文18年(1549)にはフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」として紹介している。

詳しい歴史は足利市のサイトにある。

 http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/rekishi.html

 

方丈の前の庭園。ここも建物とともに復原された箇所で、昭和57年までは小学校があった。

 

縁側の位置が高い。

 

左の方丈と右の庫裡とは廊下でつながっている。

 

こちらが方丈。

 

こちらが庫裡。入口前の宥座(ゆうざ)に人が集まっていた。

空の時には傾いていて、水を一杯に入れるとひっくり返ってこぼれてしまい、ちょうど良いときだけまっすぐに立つ壺状の器。孔子の教え「中庸」を「いっぱいに満ちて覆らないものは無い」とわかりやすく示す。

 

 

高い玄関で靴を抜いで上がる。

 

方丈の内部は広い畳敷き。

 

足利学校は水戸市の弘道館、備前市の閑谷学校、日田市の咸宜園とともに、近代教育制度の導入前から様々な階層を対象とした教育が行われた場所「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」として平成27年、文化庁(日本遺産審査委員会)により日本遺産の認定を受けている。

 

座った位置から。

 

こちらは北側の庭園。

庫裡の一部屋では論語の素読が行われていた。

 

庭園側から見た建物。

 

庭園の築山は前方後円墳のようだった。

 

こちらは円墳のよう。

作庭者の心象風景には古墳群の丘があった・・・?