墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

織姫神社(織姫山丁字形古墳跡) 厳島神社・大山講の燈籠 栃木県足利市西宮町・通

前回のつづき。

物外軒の見学後、通りを東に進むと織姫神社の麓に出た。

 

鳥居の前の歩道橋は手摺りが神社風。

 

石段(229段)の下にあった説明板。

登録有形文化財(建造物)
織姫神社 社殿・神楽殿社務所・手水舎
織姫神社は社伝によれば、宝永2年(1705)戸田忠利が足利藩主としてこの地に来た時に土民が創建した神社で、機織の守護神として「天八千々姫命」「天御鉾命」の二神をお祀りしています。
現在の社殿は、明治13年(1880)に焼失した社殿を昭和12年(1937)に再建したもので、中央に拝殿、その両側に翼廊を配し、拝殿と翼廊を歩楼で結ぶ形は、日本古来の寝殿造建築である平等院鳳凰堂をモデルにしたといわれています。当時の神社建築は木造が主流でしたが、設計者である小林福太郎は、当時珍しい鉄筋コンクリートを用いて木造建築の意匠を再現しました。朱色に塗装された建物が、織姫山の山並みの緑と青空に映え、ひときわ鮮やかに目に映り、美しい建築を作り上げています。
織姫神社は織物を中心とした足利の産業を信仰面から支えてきた存在であり、本市の近代化を語る上でも欠かせない貴重な文化遺産です。近年は産業振興と縁結びの神社として多くの参拝者に崇められています。
足利市教育委員会

 

前回9月に来た時は丘の上の駐車場に車を停めた。

このときに見逃した「古墳跡」を探しに今回再訪。

 

石段の行燈は夜は光るのだろう。

 

見上げる紅葉。

 

眼下の紅葉。

 

緑のモミジ葉との競演も見られた。

 

まずは拝殿で参拝。朝から歩き回っていたので229段はこたえた。

 

最初に拝殿の基礎の石を、その基壇の高い石垣の石を見てまわるが古墳跡を示すものはない。掃除をされていた神社の方に伺ってもご存知なかった。

 

これは難しいかと思っていると、さらに下段、石段の最後の上りの右手の石垣にみつけることができた。

 

昭和11年と刻まれた文字。読めないところが多くなっていた。

織姫山丁字形古墳跡
織姫山一帯ハ上代人墳墓ノ地タリシカ如ク□
其ノ発見ヲ伝フ本古墳亦其ノ一タリ
本年九月本石垣築造工事中偶然其ノ一部ヲ発見シ成規ノ手続ヲ了ヘ帝室博物館監査官後藤守一氏等ノ臨地ヲ求メテ是ヲ発掘調査セリ石室ガ横穴式ニシテ玄室ヲ南北ニ前室ヲ東方ニ開キシ丁字形ナルハ稀観ノモノト云フベク底面小割石ノ上ニ白色小砂ヲ敷キ人骨二体分及ビ副葬品金□銅□大刀身鉄鏃ヲ発見シ又封土中ヨリ靭鞆等ノ埴輪ヲ獲タリ
今工事ノ関係上一部ハ□態ノ如・・・以テ後日ノ参攷トナス
昭和十一年十月

 

そのあたりから南側の眺め。かつての墳丘からの眺め?

 

石段を下りて次の予定地に向かった。

 

物外軒から織姫神社へ行く途中にも公開されていた文化財があった。 

厳島神社・大山講の燈籠

いただいたパンフによると、大山講の風習は江戸末期から明治にかけて関東一円に広まり、足利地方でも昭和50年頃まで足利織物の旦那衆を中心に講が組織され、今も大山阿夫利神社の神前の左右には足利講の人々が昭和30年代に奉納した高さ2m超の随神像が安置されているとのこと。

 

高さ3m近い木製の「大山講の燈籠」は昭和40年頃まで毎年例大祭時に足利の目抜き通りに点灯されていたもの。江戸末期の制作年代が銘記された貴重な工芸品であり、普段は神社で保管されているそうだ。

 

厳島神社境内の様子。