墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

天神洞古墳 静岡県沼津市中瀬町

前々々回のつづき。

向山古墳群見学後、市街地を西に横断して狩野川を渡り、沼津市の天神洞(てんじんぼら)古墳へ向かった。

伊豆半島の中央を北上してきた狩野川が周りを囲むように流れる香貫山(かぬきやま:193m)の北の麓にある。

 

墳丘は天神公園の中にあった。

 

芝生の広場を木々が取り囲む気持ちの良い公園。

 

その片隅に墳丘があった。

 

横穴式石室の入口柵が見えてくる。

 

石に刻まれた説明文があった。

天神洞古墳群(てんじんぼらこふん)
かつて、香貫地区一帯には香貫九十塚と称される古墳群が各所に存在していた。昭和45年、香貫地区土地区画整理事業によって確認された天神洞古墳群もこの香貫九十塚の一部で、往古は東方の禅東久保にかけて多数の小円墳が存在していたようである。昭和45年3月の幹線水路工事に伴い、第1号墳及び第2号墳、昭和46年3月の道路拡張工事により第3号墳及び第4号墳がそれぞれ沼津市教育委員会により調査された。いずれも横穴式石室の下部を残すのみであった。しかし副葬品の多くはそのまま床面に遺存し、武器類や装身具、土器類などが多数出土した。特に第3号墳からは瑪瑙製勾玉や水晶製切子玉、碧玉製管玉など、各種の玉類が約90点出土し貴重な発見となった。古墳の構造や出土品の特長から高札すると6世紀末から7世紀代にかけて造営されたものと推定される。おそらく当地域住民の上層階級の墳墓であろうが、冬至の集落の主体は、下香貫地域及び狩野川対岸にあったと考えらる。このほか昭和46年の調査で鎌倉時代頃の瓦を集積した瓦塚が発見されたが、同類の瓦は当地方では韮山町の願成就院跡にみられるのみで、やはり貴重な発見といえよう。これらの調査によって発見された出土遺物は現在沼津市歴史民俗資料館に保管されている。
昭和51年12月 沼津市教育委員会 中瀬町自治会

 

もうひとつ。

天神洞古墳群
形状:円墳
遺構:横穴式石室:長さ4m 高さ1.3m 上部幅0.75m・下部幅1m
規模:墳丘の直径:12m 高さ2.3m
この古墳は古墳時代後期6~7世紀にかけ築造されたもので当地域住民祖先の墳墓と推察される。昭和44年区画整理事業に伴い発掘調査の結果、玉類、小刀身、須恵器など数多くの副葬品が出土している。本墳は天神洞古墳として比較的規模の大きなものを後世に保存すべく現在地に復元する。
昭和54年2月25日 沼津市中瀬町自治会

 

移設復元された墳丘だったが、当古墳が何号墳で元の位置はどこであったのかはわからなかった。

 

柵越しに石室を。

 

説明には「横穴式石室の下部を残すのみだった」とあるので、天井石などは復元物だろう。

 

奥壁は見事だが・・・

 

山が迫る裏手には墓地があった。

 

後ろから見た墳丘。

 

上らせていただいて公園を。

 

開口部の真上から。

 

墳丘のそばにあった供養塔。

 

秋の日差しはやわらかかった。