前回のつづき。
向山(むかいやま)古墳群公園の中で、C地区は一番広々としていてトイレまで整備されている。
古墳群全体の説明板もC地区に。
上記説明板のC地区の部分。
C地区4,139㎡(12~15号墳)は歴史・集いエリアとして、芝生広場や緩やかなカーブと起伏を持たせた通路を整備しました。向山古墳群の中で最大の円墳である14号墳と13号墳は、亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示して古墳学習の場とすると共に、富士山と三島市街の眺めを楽しむ場所として整備しました。また、史跡の指定区域外にトイレ、休憩場所を設置しました。
最も北東寄りにある墳丘が12号墳(手前の周溝跡は15号墳のもの)
墳頂から北方向。
墳丘の北側に説明板があった。
北側から見た12号墳。
道路の対岸から見た同古墳。
12号墳の墳頂から見たC地区全体。
手前が12号墳の墳頂、15号墳の跡、13号墳で一番奥が14号墳。
15号墳の跡(奥は12号墳)
15号墳は盛土を失っていたが、調査で最大幅2.0m・深さ0.5mの周溝跡が発見され、6世紀に築造された最大径14.6mの円墳があったと推測されている。
そこから振り返ると13号墳。
13号墳も調査時では墳丘の半分以上を失っていたが、周溝が見つかったことにより径15mの円墳として復元された。オリジナルは6世紀中頃の築造。
13号墳の墳頂から北側。12号墳と15号墳跡。
墳頂の中央付近から木棺直葬と推測される3.0m×1.7mの跡が見つかり須恵器も出土した。
そこから振り返ると14号墳。
14号墳は築造時期が4世紀中頃と群中で最も古く、かつ最大の円墳。最大径約28m、高さ2.9m。
説明板によれば、地山を削り出して造られていて周溝はない。墳頂中央付近から見つかった埋葬施設も6.8m×2.8mと大きい。
墳頂周囲に柵が巡らされていて、公園の「展望台」にもなっている。
14号墳の墳頂から北側、C地区の眺め。
広い墳頂には埋葬施設の位置を示すパネルや展望図があった。
左から「沼津市街」「南アルプス」「三島市街」「愛鷹山」「富士山」
竹林が育ってしまったが、愛鷹山の雄大な稜線が見晴らせた。
富士山頂も、ちょこっと。
条件がよければ南アルプスの聖岳や赤石岳も遠望できるようだ。
ここに墳丘を築くということは、被葬者はここから見える範囲を統率していたリーダーであったと感じられる。
ここは伊豆半島の付け根の西側に位置し、海路でも陸路でも太古から交通の要衝であったはず。神奈川県で最大級の前方後円墳・長柄桜山古墳も三浦半島の付け根の西側で、交通路沿いの高い場所に4世紀に築かれているが、もしかしたら互いを知っていたか・・・
こちらの方のサイトでは、この墳丘からの美しい夜景も紹介されていた。
https://nightview.useless-landscape.com/details/mukaiyama-14