墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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向山古墳群A地区 (3~6号墳) 静岡県三島市北沢

前回のつづき。

夏梅木古墳の見学後、ひとつ南側の舌状台地上にある県指定史跡・向山古墳群へ向かった。車なら6分の距離。

 

駐車場もある公園として整備されていて、尾根上に連なる13基の古墳を見ることができる。 A,B,Cの3つのエリアに分かれていて、全体説明板はC地区にあった。

向山(むかいやま)古墳群の概要
向山古墳群は向山小学校北東側の尾根上に直線的に分布する円墳14基、前方後円墳2基の、合計16基からなる古墳群です。これらの古墳が造られた時期は4世紀中頃から6世紀前半で、三島市内では最も古い古墳群です。田方(たがた)平野北部を支配していた「くに」の王(首長)の墓を考えられ、前方後円墳があることから、大和王権との関係を知る上で重要な古墳であるといえます。
古墳群は昭和50年(1975)の向山小学校建設工事において、偶然発見されました。この時、発掘調査した2基の円墳(1,2号墳)からは、鉄剣、鉄刀、鉄鏃が出土し、木棺直葬といって遺体を入れた木棺を、直接古墳の盛り土の中に埋めた構造であることがわかりました。これら2基の古墳は、小学校建設に伴い消失しています。
その後、昭和57年(1982)、平成3年(1991)の調査で、新たに13基の古墳が発見され、向山古墳群は「伊豆地方の古墳文化を考える上で最も重要な古墳である」という理由で、平成11年3月15日付けで、古墳13基を含む16,658㎡が静岡県の史跡に指定されました。史跡指定を受け、三島市が用地を取得し平成23,24年度に古墳群公園として整備しました。また平成16年度には、向山小学校北側の尾根から、竪穴式石室を埋葬施設に持つ4世紀代の大型前方後円墳(16号墳)が発見されています。

公園整備の概要
静岡県の史跡に指定されている16,658㎡(3~15号墳)を対象に、A地区を歴史・眺望エリア、B地区を古墳保存エリア、C地区を歴史・集いエリアとして整備しました。

 

標高の高い北東がA地区で、3~6号墳が整備されている。

 

全体説明板中のA地区についての部分。 

A地区4,591㎡(3~6号墳)は3号墳(前方後円墳)を中心とした、古墳群を学習しながら周りの眺めを楽しむエリアです。古墳の上に登って隣の古墳の形を見たり、富士山や市街地の景色を楽しむ事ができるように整備しました。3号墳の上には実物大の写真を焼き付けた陶板を展示し、亡くなった人を葬った穴の跡と出土した大刀を視覚的に理解できるようにしました。

 

6号墳の裾の案内板。

 

左の墳丘が手前から6号、5号墳。右が4号墳。一番奥に3号墳。

 

現地説明板によれば、6号墳は推定で最大径17.3m、高さ0.8mの楕円形。

 

最初に6号墳の墳頂。

 

三島・沼津の市街が見渡せる。右は愛鷹山の裾、奥は南アルプス連峰が広がる眺望のよい場所に築かれているが、最も展望がよい墳丘はこのあと訪れたC地区の14号墳だった。

 

6号墳から南西側。左がB地区、道路の右側奥がC地区になる。

 

振り返ると5号墳。

直径14.4m、高さ2.4mの円墳で、周りには幅1.8m~3.0mの溝があったが、北側は道路で削られた。

 

墳丘保護のために盛り土がなされ、コグマザサが植わっている。

 

5号墳の墳頂から見た4号墳。

 

墳裾から見た4号墳。
推定で直径11.5m、高さ1.8mの円墳。周溝があったようだが、はっきりしたことがわからないとのことで復元表示はされていない。

 

こちらも墳丘保護のために盛土と芝張りがなされている。芝生のところは立入禁止と札が出ていた。

 

4号墳の裾(左)と5号墳。

 

そしてこちらが5号墳の裾から見た3号墳。

 

前方部裾を南西方向の斜面下側に向けている。

 

3号墳は全長21.7mの前方後円墳。古墳群中では一番新しく、6世紀中頃の築造。

3号墳
3号墳は前方後円墳という特殊な形をした古墳で、円と四角を組み合わせた昔の鍵穴の様な形をしています。長さは21.7mで静岡県内では小さい方から16番目の前方後円墳です。
発掘調査では後円部のほぼ中央から、亡くなった人を葬るために二段に掘り込んだ長方形の穴の跡が見つかりました。内側の穴は長さ2.1m、幅0.6mで、木棺直葬といって遺体を入れた箱型の木棺を、直接埋めた構造だったことが推測できます。この穴から長さ1mを超える鉄剣が出土しました。向山古墳群の中では最も新しい6世紀中頃の古墳です。
古墳の保護のため盛り土をして芝を張り、古墳の上には亡くなった人を葬った穴の跡を実物大の陶板に写真を焼き付けて展示しました。

 

3号墳の前方部上から見た後円部。散策路は、長軸から少しずれてカーブしてついている。

 

3号墳の後円部から。右が5号墳、左が4号墳。奥の山は湾の向こうの伊豆半島。

 

埋葬施設の長軸は、墳丘の長軸に沿っているが少し若干ずれているようだった。

パネルには鉄剣も写っている。

 

裾に下りて。右が後円部、左に伸びる前方部。

 

後円部の先から。

 

パノラマで。

 

前方部の右裾を一段降りたところから。左が前方部、右が後円部。

 

散策路の南側・三島市街の反対側も低くなっていて、尾根上に築かれていることがよくわかった。