墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧醸造試験場第一工場(酒類総合研究所 赤レンガ酒造工場)・一般公開 東京都北区滝野川

今回も東京文化財ウィーク2017の特別公開の案件。

王子駅の近くにある重要文化財の赤煉瓦建物だが、通常は柵の外から眺めることしかできない。前回その外観を見に訪ねたのは2年前。

 

建物の北側に面した公園には新しい説明板が立っていた。

国指定重要文化財(建造物)
醸造試験所第一工場
北区滝野川2-6
醸造試験所は、醸造方法の研究や清酒の品質の改良を図ること、講習により醸造技術や研究成果を広く普及させること等を目的に設立された国の研究機関です。創立は、明治37年(1904)5月で、酒税とも密接なかかわりを持つことから、大蔵省が所管とすることになりました。
醸造試験所が設置された場所は、幕末に滝野川大砲製造所が置かれた敷地の一部で、水利がよく、王子停車場(現王子駅)も近いことなどから「まことに得難き好適地」として選定されました。
第一工場は、試験所の中核施設として、蒸米・製麴(せいきく)・仕込・発酵・貯蔵等の作業が行われていました。設計及び監督は、大蔵省技師の妻木頼黄(つまきよりなか)が担当しています。一部三階建、地下階に貯蔵室を持つ煉瓦造で、外観を化粧煉瓦小口積とし、外壁上部は煉瓦を櫛型に並べたロンバルド帯風の意匠になっています。躯体の煉瓦壁の一部に中空部分を設けて外部の温度変化の影響を受けにくくし、またリンデ式アンモニア冷凍機を用いた空調設備を備える等、一年を通して醸造の研究が行えるように、ドイツのビール醸造施設を応用した設計がなされています。製麴室の白色施釉煉瓦積の壁や、鉄骨梁に半円形状に煉瓦を積んだ耐火床など、屋内にも特徴的な煉瓦造の部分をみることができます。
昭和20年(1945)4月に空襲で被災し、屋根部分は葺き直されていますが、その他は当時の様子をよくとどめています。
平成29年3月 東京都北区教育委員会

 

10月30日~11月2日まで内部の一般公開が行われていた。

 

少し色付いた桜があった。春は花と赤煉瓦の組み合わせが見られる。

2階の壁がレンガでないのは、空襲の後の補修措置が残っているからのようだ。

明治37年(1904)竣工の貴重な建物。空襲の跡はあるものの関東大震災には耐えている。

 

石が埋め込まれた、アーチのある窓。

 

こちらは階段部屋の丸窓。外壁の表面は「見た目が揃ってきれいに見える」とのことで、小口積み(ドイツ積み) が多用されている。

 

3階建ての醸造室のある棟に階段室が付く。

 

東側には窓がなく、広大な煉瓦の面。

 

南西側から。

 

最初に入るのは旧ボイラー室。ガイダンスの施設となっていたが小さな現役ボイラー(?)もあった。

 

 FUKAGAWA IRON WORKS CO.LTDと銘があるボイラーの鉄蓋。

 

ガイドツアーが1日2回設定されていたが、時間の都合で断念。

 

設計者は幕末生まれの妻木頼黄。

妻木頼黄(つまきよりなか)の説明パネル
安政6年(1859)幕府旗本の子として出生。明治11年(1878)工部大学校入学、明治15年(1882)同校を中退し、米国コーネル大学3年次に編入、明治17年(1884)同大を卒業した。その後、内閣臨時建設局に入局、その後ドイツに留学し、明治21年(1888)の帰国後は、内務省及び大蔵省営繕に勤務し、多くの官庁設計を手がけた。その他に、大阪麦酒会社吹田工場や日本麦酒会社目黒工場などの産業建築設計も行った。また、日本建築学会副会長を務めるなど、明治時代を代表する建築家である。大正5年(1916)死去。享年57歳であった。
主な建築物には、旧横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館、重要文化財、神奈川県横浜市)、横浜埠頭煉瓦倉庫(同市)、日本橋(東京都中央区)、旧カブトビール工場(愛知県半田市)などがある。

 

横浜銀行本店(神奈川県立博物館)へは昨年春に訪ねた(来年4月まで休館中)

massneko.hatenablog.com

 

創立の背景や経緯を物語るパネル。

 

煉瓦の展示もあった。

 左上の写真パネルは深谷にあるホフマン輪窯。

 

 順路に従ってさまざまな部屋を見学した。

 

まずはアーチをくぐって[原料処理室」へ。

 

日本酒の製造過程も学べた。

 

中の通路も煉瓦造り。

 

内部の壁は、小口のみと長手のみとを一段おきに重ねるイギリス積みになっている。

 

天井のアーチも美しい。 

 

こちらは白煉瓦(耐火煉瓦)で組まれた旧麴室。

 

説明パネルがあった。 

赤煉瓦酒造工場の旧麴室
旧麴室の壁の煉瓦は、煉瓦表面に釉薬をかけて焼いた白色施釉煉瓦です。釉薬煉瓦で室内の湿度を管理しようとしましたが、調湿効果のない釉薬煉瓦は適当でないことが分かり、昭和になって調湿効果の高い木製麴室を造り、製麴作業をするようになりました。
この釉薬煉瓦室は、日本銀行本店の地下金庫室にも採用されているもので、日本銀行に次いで2番目に古いものです。

 

品川の原美術館の一部屋を思い起こした。

 

上記から振り返って。

この部屋は麴室には向かなくて冷蔵庫として使用されたため、壁の表面に覆っていた銀紙や断熱剤が残っているが、今後除去してきれいにする予定とのこと。

 

こちらの廊下の天井は小さなアーチが横方向に並んでいた。 

 

鉄筋が使われていないので、耐火仕様の重量をアーチで分散させている。

この廊下の天井アーチは、1階の天井と2階の床とが一体化した耐火です。この建物には鉄筋などは使われていないので2階の床にかかる重さに耐えるようにアーチ状にして力を分散する構造になっています。
アーチ構造では内側と外側の煉瓦の幅が違うので、目地を一定間隔にするために台形の煉瓦を造って積まれており、その数は38種類にもなるそうです。地下1階にもあります。

 

その先に麴室があった。蒸米に麴菌をふりかける部屋。

米のでんぷんを麴の酵素が糖分に変える工程。2昼夜かけて培養するそうだ。

 

整然と置かれた大きめのスノコ

 

製麴(せいきく)という言葉を初めて目にした。

 

麴室を出て階段室へ。

 

煉瓦に囲まれた空間。

 

丸窓の内側。

 

2階には3つの発酵室が並ぶ。

 

醸造タンクが並ぶ第一発酵室。 

 

南側に小さな窓。

 

第2・第3発酵室には窓に蓋がされていた。

 

発酵過程の説明シート。

 

次に向かったのは3階。3階への階段は木製だった。 

 

階段棟の頂上部。

 

旧倉庫室は入口からの見学。 

 

倉庫室の説明シート。 

階段上の三階の倉庫室
この3階は、元は温水、冷水、寒水のタンクが設置されていたが、その後は倉庫として使用された。この部屋は、太平洋戦争時の空襲により破壊された煉瓦を戦後に改修時に急いで修復したせいか、上部は整然性を欠いている。
なお、屋根も元は瓦であったのが、戦争の空襲で焼け、その後はトタン屋根となった。

 

”整然性を欠いている”、壁の上部。

 

最後に石段を降りて、B1・半地下の部屋へ。

 

こちらは2階の下まで天井を高くした貯蔵室になっていた。

半地下なので夏涼しく、冬暖かいそうだ。

 

石室天井のような雰囲気。

 

一番奥の貯蔵室は、ちょっとぎょっとした。

 

黴(?)が立体化した壁。

 

奥から振り返って。閉じ込められたら怖ろしい。酒はあるが。

 

「日本酒100年プロジェクト」の棚。

 

中の様子。 

 

2005年から10年ごとに分析が行われている。次は2025年。

 

右奥が階段室への出入口。正面の時計の下はエレベータ。

レンガ三昧の時を過ごす貴重な体験ができた。 

 

今回も、公園のトイレを撮ってしまった。

 

 

見学後、王子駅へ戻る途中に立ち寄ったビストロジュン。 

 

飛鳥山に沿った大通り・明治通りに面していて、坂を上り下りする都電、山を上り下りする斜行エレベータ「アスカルゴ」がよく見えた。

料理も大変おいしかった。

https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132303/13184693/