墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

吉田富士山古墳 栃木県那須郡那珂川町吉田

前回のつづき。

吉田富士山古墳は(株)吉野工業所・那須小川工場の敷地内にある。

正門が開いていたので、そのまま来客用駐車場に停めさせていただき、建物内で受付の手続き(氏名の記入)を行う。受付では2つ折の解説パンフレットをいただいた。

古墳は正門の先に見えていて、標識に沿って200mほど歩く。

 

日本庭園の築山のような趣きの方墳。パンフレットによれば墳丘は吉田浅間神社の所有とのこと。

 

現地の説明板。

富士山古墳
栃木県指定史跡第1号(昭和28年11月10日)
この古墳は浅間神社の境内にあり東西約30m南北28m位、高さ3mの方墳で、4世紀中期の古式前期と目される。
那須八幡塚(前方後方墳 指定第33号=昭和36年5月6日=およそ那須国造1世か2世の古墳であろうといわれている)に隣接してこれもまた小型のそして全国にも比類のない方形の古墳である。
去る45年10月14から2週間緊急調査が行われ(県文化財保護課より)古墳の周湟を検出し、その特異な状況とこの古墳周湟西南に竪穴式住居跡が複合して現出ししかもその一つからは弥生式土器が一つからは古い時期に推定される土師式土器がいくつも発見されたことから八幡塚に劣らない古い時代に構成されたものと思われる(墳体未調査なので不明)
那須官衙跡から4kmの当地の絶景の臨川大地に所在し往古の謎を秘める、後代この古墳の南北は「長者屋敷跡」といわれた場所で、億万長者が居住せると言い伝えられ、また中世以後対岸からの往還が通じ道路として重要な位置を占めていたことは地誌に明示されているところで、更に古代において早く開拓されたことはこれより南にかけて出土する土器が明らかにこれを証している。
古代文化財研究会論

 

 (吉田)富士山古墳は一辺30mほどの方墳で、周囲には人工的な濠が巡り水を湛えている。

 いただいた資料によれば、工場建設に先立って昭和45年に調査が行われ、方墳であること、周湟をもつこと、墳裾と周湟内縁との間に墳丘を囲むように浅い溝(幅30cm、深さ20cm)があること、南側の墳裾は上記の浅い溝と周湟との間が長方形の広場のように5m程のテラス状突き出しになっていたことなどが確認されたとのこと。

現在橋が架かっている下は周溝ではなく、テラス状の”意図的な広場”であったようだ。

 

墳丘の隅には二層の塔の模型が配される。

 

墳頂への石段。 

 

「史跡・富士山古墳」の碑。

 

墳頂から振り返って。正面奥が工場敷地の正門になる。

上記は古墳の西側になる。パンフによれば調査の結果、古墳の西5m程に2軒の住居跡が検出され、ひとつは5m四方の跡で坩形・壺形等の土師器が、もうひとつは4×5mの住居跡で弥生式(十王台)土器の破片、土師式壺形や小形器台(いずれも和泉式またはそれ以前の類形)の破片が出土しているそうだ。

 

墳頂の祠。

 

方墳の北東隅の方向。

 

墳丘から東方向。奥の建物の先に那珂川が流れる。

この軸線は微妙に東北東を向いていてる。隣の前方後方墳那須八幡塚古墳の中心軸と同じ方向。

 

南東側の隅の方向。

 

南の方向。

吉野工業所は全国22カ所の工場でプラスチックやペットボトル容器などを作る大きな会社だった。家の近所の市川塩浜でよくみかける看板のある場所もその一つであったと初めて知った。

 

古墳の手前には池が設けられ、日本庭園のように整備されていた。