前回のつづき。
那珂川町なす風土記の丘資料館から南に車で7分ほどのところに、駒形大塚古墳があった。 墳丘の周囲は公園として整備されている。
車の通れる道路に面していて、駐車スペースもあった。
年季の入った説明板。
国指定史跡 駒形大塚古墳
昭和54年3月13日指定
本古墳は北から南に伸びる段丘と直角に築造された、西向きの前方後方墳である。前方部の墳丘を失っているが、昭和49年11月に発掘調査され、墳形と内部主体が明らかになる。
前方部は両側裾の先端が八の字形に前開きする古式な形で、全長は64mである。現存する後方部墳頂下1.5mのところに設けられた主体は、木炭でとりかこまれた内面朱塗りの木棺であり、画文帯龍虎鏡、銅鏃、蕨手状の素環頭刀子、鉄直刀、鉄剣、鉄斧、鉄鉇(てつやりがんな)とガラス小玉など、古い時期の副葬品である。かつ、後方墳頂下浅く、古い土師高坏、壺などの葬祭器が出土しているなど、外形、内容とも極めて重要な古式な前方後方墳である。
小川町は、本古墳とともに、那須八幡塚古墳、吉田温泉神社古墳の3基の古式な前方後方墳が存在することから、4世紀に下野で最も早く開発され、長く繁栄した様子がうかがわれるところである。
昭和60年3月1日 那珂川町教育委員会
出土した鏡は、那珂川町なす風土記の丘資料館で見ることができる。
資料館のサイトによれば、駒形大塚古墳は全長60.5mの前方後方墳。築造時期は4世紀初め頃で、関東地方で最も古い時期に造られたと考えられている。
http://www.nasufudoki.com/siseki.htm
Wikipediaには全長64m、後方部長さ32m・幅約30m・高さ8m、前方部幅約16mとあった。
古墳の正面に大きな石碑があったが、用水改良事業の完成を記念するものだった。
別の小さな石碑は古墳の由緒だが、町長の句が刻まれていた。
傾斜の急な墳丘を左に見ながら歩いていると墳頂に祠が見えた。
道路の反対側には復元された前方部が低く延びる。
くびれ部のあたりから後方部。
くびれ部から前方部先端方向。
くびれ部からの傾斜は緩かったので、そこから墳頂に上がらせていただいた。
途中で振り返った前方部。
墳頂の祠の前には鳥居があり、また独特な形の注連縄が張られていた。
後方部墳頂から東方向。
なかなか広い墳頂だった。
墳頂に上がってから、南側に石段があることに気づいた。
降りて見上げた後方部。
公園の南東隅には昭和34年に立てられた大きな石柱もあった。