前回のつづき。
国史跡の下侍塚古墳を見た後、北東に隣接する侍塚(さむらいづか)古墳群を巡った。
7号墳と8号墳のそばにあった説明板。散策路があって見学しやすい古墳群だった。
大田原市指定史跡・侍塚古墳群 昭和41年2月15日指定
それぞれの内容は下記の各古墳の写真の前に転載した。
解説やマップは大田原市のサイトにもある。
http://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082771179/
1号墳は当古墳群で唯一の前方後円墳。
1号墳 前方後円墳 全長約35~50m
前方部が大きく削られている。墳丘上には葺石が認められ、円筒埴輪の破片も採集できる。平成11年(1999)に測量調査が行われたが、埋葬施設の確認はされていない。
左が前方部、右が後円部。
上記の位置の背後は、きれいな唐辛子畑だった。
墳丘に上がらせていただいた。後円部上から前方部方向。右奥の木立が下侍塚古墳で、左の小さな土盛が8号墳。
パノラマで。右端の木立の先の崖下に那珂川が流れる。
墳丘から西側の眺め。手前のセイタカアワダチソウは後円部上のもの。
後円部裾から北側。奥のやや右が2号墳。
地図に従って2号墳への道。右は廃屋。
道は草に埋もれたので2号墳は遠望のみで。
2号墳 円墳 直径約17.5m
墳頂部に地元の住民が管理する「山の神」と呼ばれる小祠がある。裾部が削られているものの、墳丘の残りは比較的良好。平成13年(2001)に測量調査が行われたが、葺石の有無・埋葬施設は確認できなかった。また、遺物も採集されていない。
3号墳は廃屋の隣の藪の中だった。
3号墳 円墳 直径約18m
水田等により原状は大きく損なわれている。平成12年(2000)に測量調査が行われたが、周溝の状況・葺石の有無は確認できていない。また、遺物も採集されなかった。
右手の竹林の中を見ると・・・
白い標柱が立っていた。
4号墳は1号墳の斜め前、道沿いにある。
4号墳 円墳 直径約16m
墳丘上に小祠がある。道路や水田等により原状は大きく損なわれている。平成12年に測量調査が行われたが周溝の状況・葺石の有無は確認できていない。また、遺物も採集されなかった。
墳頂の小祠。
墳頂から見下ろしたところ。門のような2本の竹の棒は鳥居と解釈した。
4号墳を降りてからの分岐。立て札には「歴史の道 下侍塚回遊路→」とある。
ちなみに左のガードレールの先は崖になっていて、下に那珂川へ流れ込む小川の水面が見えた。
5号墳も近づく道が見当たらず、散策路から遠望。
5号墳 円墳 直径約27m
昭和29年(1954)の発掘調査により、墳丘面に葺石があることがわかった。この時5mほど掘り下げたが、埋葬施設は確認されなかった。円筒埴輪、形象埴輪、土師器、須恵器が出土した。6世紀代に造られたと考えられている。
ズームで。
右が5号墳、左が6号墳、中央奥が下侍塚古墳でその左手前が8号墳。
6号墳もアプローチは困難だった。
6号墳 円墳 直径約12m
平成13年(2001)に測量調査がされたが、葺石の有無・埋葬施設は確認できなかった。また、遺物も採集されていない。
回遊路沿いに7号墳の標柱があった。
7号墳 円墳 直径約15m
墳丘の1/3が削られており、東側は崖になっている。地元の住民の話によると、「山芋が掘れないほど、びっちり石がつまっている」とのこと。葺石で覆われていると推定される。平成10年(1998)に測量調査が行われた。
草で覆われ、葺石の確認はできなかった。
8号墳は回遊路沿いにあって近くから見学できたが、草深くて墳丘に上がることは困難だった。
8号墳 方墳 一辺約17m
昭和52年(1977)の発掘調査により、墳形や全長が確認されている。墳丘の周りには周溝がめぐらされ、そこから土師器が出土している。下侍塚古墳と近い時期に造られたと考えられている。
西側から見た8号墳。左に5号墳がかぶっている。
後ろを振り返ると下侍塚古墳。スケールの違いを味わった。