墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

宝竜寺坂・龍善寺向かいの小坂 東京都新宿区市谷山伏町・早稲田町

草間彌生美術館を訪ねた際、途中にあった坂にも立ち寄った。

宝竜寺坂は、外苑東通りから東に上る石段の坂。市谷柳町の交差点から北に150m位。

 

標柱がある。

宝竜寺坂(ほうりゅうじざか)
昔、この辺りは七軒寺町という寺町で、この坂の上に宝竜寺という寺があったためこう呼ばれた。
また、明治頃、寺の樹木が繁り、淋しい坂であり、幽霊が出るといわれたため、幽霊坂とも呼ばれた。

 

降りるにしたがって傾斜が緩くなる。

 

上りきったあたり。

 

要塞のようなお宅があった。

 

坂上から見下ろして。 

 

早稲田通り沿い、早稲田駅の東側に聳えているのは龍善寺。

 

建物前に御本尊の阿弥陀如来の解説板があった。

新宿区指定有形文化財 彫刻
木造阿弥陀如来立像
所在地:新宿区早稲田町77番地
指定年月日:平成9年3月7日
寄木造り、漆箔仕上げ。像高95.1cm。12世紀末(鎌倉時代初期)の作品で区内で最も古い仏像彫刻のひとつである。
龍善寺は寛文7年(1667)に現在地に移ったが、この像は当時からの本尊である。頭部の螺髪は細かく刻まれ表情には上品さが漂っている。体は丸く弧を描くようななだらかな肩をもち、穏やかな表情や腰の高い胴体と相まって優美さが感じられる。全身を包む衣は極めて浅く刻まれ、腹部から股間に沿って流麗な衣文線が施されている。
いわゆる定朝様(平安時代の仏師)の優品である。
このほか龍善寺には、三河上宮寺の旧本尊であった聖徳太子像の胎内にあった、像高30cm程の聖徳太子像も安置されている。
平成9年5月 新宿区教育委員会

 

小路を挟んだところには「落馬地蔵」が安置される。

 

 こちらも縁起が書かれていた。

落馬地蔵尊縁起
口碑によると 江戸幕府三代将軍 徳川家光公が遠乗りに出てこの地を通過のみぎり 突然乗馬が驚奔し落馬された 怪しんでその地を探させると 土橋の下より この地蔵が出現 公いたく畏怖して祀ったと謂う
降って寛永13年(1636)高田の馬場開設に伴い 旗本、諸大名など馬術の鍛錬のため 江戸城~牛込見附~落馬地蔵~穴八幡~高田の馬場の道順にあたり 馬術武芸の上達・安全を祈念するものが多く その尊崇を集めていたという
寛延4年(1751)「再訂増補江戸惣鹿子名所大全」の中に落馬地蔵 わせだ大養寺が古く「再訂江戸砂子」明和9年(1772)訂正に 高田 落馬地蔵 石仏也 浄土智恩末光明山大養寺と 地蔵の記述あり
戦災により 焼失せるも再建され 早稲田通りの歩道に面して立ち あわただしく行きかう車を眺め、馬蹄の響きとともに 遠く去って帰らぬ馬を その半眼に回想されているかのようである
両脇には また似かよったお地蔵さんが 侍座しておられる

 

龍善寺と早稲田通りを隔てたところに小さな細道坂があった。

 

信号待ちをしていた方々が5,6人吸い込まれていった。

 

上から振り返ったところ。奥が龍善寺。

 

細道の距離は短かかった。行ってみるとなんていうことはないが、早稲田通りからの姿は見通しが効かない魅力があった。