墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

下里本邑遺跡公園 東京都東久留米市野火止

前回のつづき。 

三角山から通りと水路を渡って南側の住宅地へ。細い水路は市境になっていたようでここから東久留米市

途中から南へ下る斜面があった。 

 

斜面の下は本村小学校。小学校の南縁には黒目川が流れる。

小学校の東縁には新小金井街道が通るが、そこに立派な歩道橋が架かっていた。

 

歩道橋を東へ渡ると下里本邑遺跡公園がある。

 

散策路の周囲に草むらが広がる。

 

設置から35年を経ている説明板。 その当時は4世紀も弥生時代とされていたか?

下里本邑(しもざとほんむら)遺跡公園
南にむかってゆるい傾斜をみせる舌状の台地と清らかな流れをもった黒目川、そしてその間に広がる低地、ここの場所は原始・古代の人々にとって大変住みやすい土地だったのです。
古い地名をとって下里本邑遺跡と名付けれれたこの場所は先土器時代から現在に至るまでの約2万5千年にわたる人々の生活の舞台であったのです。
この場所に最初に人間が住み始めたのは今から約2万5千年前の先土器時代と呼ばれる頃で、その生活の跡は関東ローム層という赤土の中から発見されました。当時は今より気候が寒く、ナウマンゾウやオオツノジカの群をおって生活する狩人の時代でした。
今から約1万年前になると気候も暖かくなりこの場所にも台地と川岸を利用した集落(ムラ)がつくたれるようになりました。縄文式土器とよばれる土器を作るようになったこの時代を縄文時代といいます。
そして今から1600年程まえになると、この地にも稲作農業が入ってきます。この時代を弥生時代とよび、近くに水田をもったムラがつくられるようになり、台地の上からは当時の指導者の墓と考えられる方形周溝墓も発見されました。
その後一時、この場所から人間の生活の痕跡はとだえますが、今から1200年程前の奈良時代の終わりごろになると再びムラがつくられるようになり、それは平安時代まで続きました。
このように下里本邑遺跡からは先土器時代、縄文時代弥生時代、奈良・平安時代までの長い期間にわたる生活の跡や当時の道具が発見されたのです。
そこで、このような大切な文化財を後世の人々に伝えようということになり、遺跡の主要部分約8,000㎡がそのまま保存され遺跡公園として整備されたのです。さらに低地の公園内には当時の人々の生活の跡を復原したり、道具を展示した下里本邑遺跡館も作られました。
みんなでこの下里本邑遺跡を大切に守っていきましょう。
東久留米市教育委員会 東京都住宅供給公社 1982年11月

 

新しい説明板では「2000年前の弥生時代」と直っていた。

 

説明板の案内図のアップ。広い公園ではないが、草深いので遺構を探すのに地図が役立った。 

 

公園中央部の広場。南側に下里第二団地でそのすぐ後ろが黒目川になる。

 

広場の片隅に平安時代の住居跡(3.6m×2.8m) 現況は花壇?

 

散策路を挟んで弥生末期の方形周溝墓。

 

植え込みに埋もれるように説明板。遺構のある地面は見えなかった。

 

先土器時代(約2万5千年前~1万年前)の礫群(復原)

焼けた石が集まっていたことから調理の場と考えられるそう。

 

広場を回って斜面下から。

 

団地への出口付近の説明板。

 

奈良期の遺構は団地に敷地になっている。

 

弥生期の住居跡。

 

植え込みの奥に説明板があった。近所の方に教えて頂いて場所がわかった。

 

さらに南へ道を渡る。

 

こちらに下里本邑遺跡館があった。

 

東京都指定史跡と刻まれた石碑も立つ。

 

その説明板。

東京都指定史跡 下里本邑遺跡
所在地:東久留米市野火止3-310-1,9
指定:昭和59年3月22日
この遺跡は、下里第二住宅の建設に伴い、昭和53年と56年に発掘調査が行われた。
調査によって、舌状の台地上から旧石器時代縄文時代弥生時代、奈良・平安時代の各時代にわたる生活跡が発見され、黒目川流域を代表する遺跡であることが確認された。
この遺跡の主な特色は、旧跡時代の局部磨製石斧(刃の部分を磨いた斧)の出土、台地を旧河道の間にある河原の部分から縄文時代早期の生活跡が発見されたこと、また、荒川支流の黒目川最上流域で、弥生時代の集落跡が発見されたことなどである。
遺跡の中心となる舌状台地と河原部分の約8千㎡は、遺跡公園として保存整備され、下里本邑遺跡館が設置されている。ここには、河原で営まれた縄文時代早期の生活跡や地層が立体的に復元され、また、土器、石器などの出土遺物も展示されている。
平成9年3月31日 東京都教育委員会

 

遺跡館は、外からショーウィンドウのようにガラス越しの展示を見るタイプだった。

 

発掘の様子が残されている(或いは復元か)

 

左右の側面にもウィンドウがあった。

 

弥生土器のコーナー。

 

旧石器、縄文時代のコーナー。 

屋外では外が明るいのでちょっと見づらいように思われたものの、軒が深くつくられていて、それなりにきれいにされたガラス。発掘された現場で出土品が見られたのが良かった。