8月下旬、栃木県足利市の古墳を車で巡った。
以前に鑁阿寺(ばんなじ)や足利学校を訪ねたことがあったが、古墳探訪に目覚める前だったので、周辺の墳丘は初対面。
最初に訪ねたのは足利市街から4kmほど南にある国指定史跡。
駅だと最寄りの東武伊勢崎線の福居駅まで徒歩30分以上と出る場所。
藤本町にある藤本観音山古墳は4世紀中頃の前方後方墳。全長117.8mは前方後方墳では全国5位の大きさになる。
今年3月に立て直されたばかりの説明板だった。
国指定史跡 藤本観音山古墳(ふじもとかんのんやまこふん)
藤本観音山古墳は、かつて下野国と上野国との境をなしていた矢場川右岸の標高約30mの平地にあります。発掘調査は昭和59年度に第一次発掘調査が行われ、平成15年度までに七次にわたり実施されました。その結果、藤本観音山古墳は、前方部を西に向け、主軸をほぼ東西方向にとる全長117.8mの前方後方墳であることが確認されました。周溝は幅が広く浅いことが特徴で、平面形は長方形を基調としながらも、縁辺部は不整形で、特に前方部南西側は極端に狭まります。古墳は、墳丘下の旧表土中から、4世紀初頭に浅間山の噴火により降下した浅間C軽石が検出されていることや、出土遺物などから、4世紀中頃の築造と推定されます。周溝が狭まる部分の外側には、南北約100m、東西約70mの範囲で、古墳と同時期の竪穴建物跡21軒と土坑3基などが確認されています。時期や立地条件などから古墳築造の際の飯場や古墳祭祀などの場と推定されます。
指定年月日:平成18年7月28日
公益財団法人足利市民文化財段 足利市教育委員会
平成29年3月30日
地図部分の拡大。墳丘の南西の赤い四角が古墳築造の際の飯場や古墳祭祀の場と推定される竪穴建物跡21軒など。
航空写真もあった。くびれ部から前方部が抉られて家が建っている。
東側から見上げた後方部。
後方部の南角に登り口があった。
登り口から南側を振り返って。
階段の途中にあった石碑。
墳頂には小さな石の祠が3つあった。
後方部になるが「四角形」は実感しづらかった。
祠の横の大木には幣のついた竹がくくりつけられていた。
くびれ部・前方部への方向はえぐれていて道もなかった。
後方部墳頂からの眺め。田んぼの緑は古代と変わらない?
パノラマで。
墳丘から降りて、田んぼの側から見た墳丘。右が後方部、左が前方部。
パノラマで。
この日の午後に訪れた足利市役所郷土資料展示室では、この古墳からの出土品を見ることができた。
これまでの発掘調査で、墳頂に並べられていたと推定される二重口縁壺をはじめ、古墳南西部の関連遺構群からは台付甕や小型丸底壺、高坏、甑、器台といった土師器がたくさん出土しているそう。
上部の縁がS字状に段がつく台付甕。
S字甕(えすじがめ)とも呼ばれ、伊勢湾沿岸部の東海地域を出自とし、前方後方墳という形状とも関連があるようだ。下記のサイトに詳しかった。