前回のつづき。
この日の松本で最後に行った場所が、旧松本高等学校(あがたの森文化会館)
松本駅東口から大通りを真っ直ぐ東の突き当たりにある。
大きな解説板があった。
重要文化財 旧松本高等学校本館、講堂
指定年月日:平成19年6月18日
所在地:長野県松本市県(あがた)3-1-1
所有者・管理者:松本市
大正8年に創立開校された旧制松本高等学校の本館と講堂である。戦後の学制改革により信州大学文理学部の校舎となり、昭和48年3月まで使用された。この両建築は、大正期の旧制高等学校の木造洋風建築の作例としては規模も大きく保存状態も良好である。また、この建物は西洋建築様式を簡略化して木造建築に応用した代表例である。
本館:木造二階建、屋根瓦葺寄棟造、玄関周囲に切妻破風及びマンサード型破風を付す。大正9年建築。
講堂:木造平屋建一部二階建、屋根銅板亀甲葺、切妻造、屋根の一部に小塔及び切妻破風を付す。大正11年建築。
松本市教育委員会
戦後から昭和48年までは「信州大学文理学部」であった。同窓会が立てた解説板。建物の保存に大きな役割を果たした。
信州大学文理学部跡
戦後の学制改革により1949年文理学部は旧制松本高等学校を母体としてこの地に誕生しました。爾来22年間で1300名の卒業生と医学部、農学部、工学部の教養課程の学び舎としても使用されてきました。文理学部の改組により人文学部、理学部、経済学部が旭町キャンパスに新築移転され、その歴史を閉じました。
しかし主要な校舎は、先輩諸氏の献身的な保存運動と、市当局をはじめ関係各位の温かいご理解により文化財として保存され、市民の文化活動に活用されると共に憩いの場として愛されております。
開学50周年にあたり、この地で過ごした青春のありし日の己を象徴した青年像「蒼穹」を記念碑として中庭に建立しました。
1999年10月 信州大学文理学部同窓会
門の先には大きなヒマラヤ杉の並木道がある。 振り返ったところ。
あがたの森文化会館に隣接して「旧制高等学校記念館」があったが、この時点で開館時間を過ぎていた(9時~17時、一般300円)
並木道の北側に建つ講堂は本館と同じく大正11年の築。西側の入口は丸みを帯びている。
講堂の東側の入口。上から見るとT字形になっている。見学は外部からのみ。
T字の接点上に小さな塔が配されていた。
こちらは堂々たる本館の入口玄関。講堂とともに国の重要文化財指定を受けている。
コの字型の角の部分にあたる。図書館は19時まで開館しているので建物内に入ることもできた。
玄関入ってすぐにある大階段。
少し上がって振り返ったところ。
踊り場で。手摺柱には彫刻が施される。
横から見た手摺り。
三連窓から光が入る。
外側から見た三連窓。
長い廊下を奥から。
かつての教室が、今もいろいろな用途で使われている。
別の角にある階段スペースの天井。
降りて来て一階から。
1階の通路。板張りの床もあった。
帽子掛け? これがあると学校っぽさが醸し出される。
復元された校長室。
”だだっ広い”机回り。
復元された教室もあった。
旧制松本高等学校の卒業生には、唐木順三、臼井吉見、辻邦生、北杜夫らがいる。
廊下の窓から見た中庭。
外に出て、中庭から見た本館。
入口玄関の裏あたり。
校長室のあるあたり(1階)
大正期の木造建築でこれだけ大きなものが残っているのは珍しいのではないか。
建物も東側は池もある公園になっていた。
こちらに来た目的は、針塚古墳で見た案内図に「県塚(あがたづか)1号墳」が記されていたからでもあった。
文化会館の職員の方に伺って、ここでも親切に対応していただいたが、結局はわからなかった。
あがたの森公園内であれば、この築山など”あやしい”が、戸田家廟所は公園から離れた場所にあったりするので公園の外からも知れない。
古墳めぐりを充分楽しんで18時ごろにレンタカーを返却した。バック時に後方映像が写ったり、前方と車間が近づくと警報音が鳴ったりと、機能の進化を実感した。
この後、山仲間と合流してmarcoさんお勧めの「よし蔵」へ。
http://garadanikki.hatenablog.com/entry/2014/08/04/松本_~_きく蔵
(リンク貼りがうまくいかず、ごめんなさい)
馬刺しやふぐのカルパッチョなどを頂き、登山前日から盛り上がってしまいました・・・
店のご主人によると、9月になって一ヶ月だけ出す「きのこ鍋」がお薦めだそうです。