墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

山辺学校歴史民俗資料館(外観のみ)・兎川寺 長野県松本市里山辺

前回のつづき。

中山地区の古墳をいくつか見た後、北へ向かって県史跡の針塚古墳へ向かったが、古墳を訪ねる前にすぐ近くの建築物を見学した。

道路に面した門は閉まっていた。 

 

なんと耐震工事のために平成31年3月末まで長期休館中だった。

 

旧開智学校のような建物が樹木の陰に。

 

ズームですると塔屋や瓦屋根の重厚な車寄せが。

旧開智学校建築にも従事した地元の棟梁・佐々木喜十(1839~1924)が建てた「擬洋風建築」

 

後ろに回ると自由に建物に近づくことができた。

 

正面玄関にも回れるようになっており、千鳥破風や蛙股などの和風装飾も間近で観察できた。

 

Wikipediaによれば、竣工は明治18年(1885)で翌年に山辺学校として開校して昭和3年まで40年間使われた後、里山辺村役場、保育園、松本市役所出張所と移り変わり、昭和60年に県宝に指定されている。

 

ガラス窓だった旧開智学校(1876年竣工)が当時「ギヤマン学校」と呼ばれたのに対し、当初は障子の引き違い窓だった旧山辺学校は「障子学校」と呼ばれたそう。

外部は隅柱のみ見せた漆喰塗り大壁造とし、正面側腰壁の部分には石積模様が施される。



内部の間取りは、一階では十文字の中廊下の両側に職員室及び教室を設け、二階には正面からみて左側に講堂に相当する大部屋を設け、右側は中廊下をはさんで教室を配しているとのこと。

建設費は当時の里山辺・入山辺両村の村費と住民の寄付で賄われ、旧開智学校の建築費用は15,000~16,000円だったのに対し、こちらは1,700円ほどだったそう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/山辺学校 

 

塔屋は屋根の中央にあり平面は八角形。東西南北が漢字で表されていた。

 

 

道を隔てた兎川寺(とせんじ)へも参拝した。 

参道右手は、しだれ桜だった。

http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/spot/?p=20253

 

このときの満開はサルスベリ

 

白いサルスベリも。

 

飛鳥時代聖徳太子が創建したと伝えられる古刹。

歴代松本城藩主の信仰も篤かったが、明治4年の廃仏毀釈で廃寺となって、向かいに新しい校舎が立つ前は山辺学校の教堂になったそうだが、再興した。

 

本堂前にあった一文字納経。「是」と書いて納めた。

 

現在の本堂は、諏訪の宮大工・藤森広八が文政3年(1820年)に建てている。

 

本堂前の石仏。

 

三列の観音様。

 

境内にあった「蠶影神社」 カイコ(サン)と読むことを知った。

 

本堂前から山門。 

穏やかな、心休まる境内だった。