墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

弘法山古墳(再訪) 長野県松本市並柳

前回までのエントリ、白馬三山へ行った際に松本に前泊したが、その日の午後は南松本の古墳をいくつか回った。

 

松本駅前で軽を借りて、はじめに弘法山(こうぼうやま)古墳を再訪。

信号待ちの車窓から。丘の上に後方部の端が見える。

 

駐車場に停めて散策路へ入る。

 

入口の解説板。 

史跡 弘法山古墳
所在地:旧 松本市大字出川字丸山1000番地ほか・新 松本市並柳2丁目1000番地ほか
標高:652m 史跡範囲:51.235㎡ 指定年月日:昭和51年2月20日
弘法山古墳は中山丘陵の北側突端部に位置します。3世紀終わり頃この地方を支配していた有力者の古墳だといわれています。
古墳からの眺望はすばらしく眼下に現松本平、南には木曽谷入口、北は安曇野まで、そして背景には北アルプスが一望でき、前期古墳の特徴を備えております。
昭和49年に行われた発掘調査とその後の研究により、東日本でも古い3世紀末に造られた古墳であることがわかりました。
古墳の形は方形を前後に合わせた前方後方墳で、全長は66mです。遺骸は後方部中央の竪穴式石室に埋葬され、その内部から半三角縁四獣紋鏡等の副葬品と石室の上部から壺等の土器が発見されました。
貴重な古墳であることから、国の史跡指定を受けて保存整備されました。
なお、長い間親しまれてきた「大字出川字丸山」は、平成6年の第11次住居表示事業によって新しい地名となりました。
松本市教育委員会 平成16年3月 

 

舌状台地の尾根に上がっていく。2組の見学者とすれ違った。

 

周りは桜の木だらけ。春は大勢の花見客で賑うようだ。

 

すぐに尾根の先端の墳丘に到着。

 

そこにある解説板。

史跡 弘法山古墳
古墳がつくられた時代(3世紀後半~7世紀)は古墳時代と言われ、全国にたくさんの古墳がつくられました。そして、その大きさなどは埋葬された人の勢力を示すものと言われています。
古墳時代が始まった頃につくられた古墳は、尾根上に単独でつくられ、頂上から見渡せる広い範囲を支配していた人のお墓と見られています。眺望のすばらしさは景色の良さと同時に支配者の力を感じさせてくれます。
かたち:前方後方墳(方形を前後に合わせた形)
大きさ:全長66m 前方部長さ25m・幅22m 後方部長さ41m・幅47m
つくられた時期:3世紀末(古墳時代前期)
埋葬施設:竪穴式石室 長さ5.5m・幅1.5m・深さ1m 梓川奈良井川、田川・薄川の川原石でつくられています。蓋石(天井石)は無く、石室の回りには石室を保護する石積みが見られます。
松本市教育委員会 平成9年12月

 

後方部の先端についた階段を上がる。

 

松本市街が目の前に広がった。 

これまで自分が探訪した墳丘の中では十指に入る眺め。

 

パノラマで。

 

その先の前方部。台地の下に前方部を向けている。

 

古代は河川に沿って肥沃な農地が広がっていたのだろう。

目の前の木々も桜で、春はピンクに染まるようだ。

弘法山の桜が満開になりました。 – 並柳商工会

 

前方部を含んでパノラマで。

 

北東の方向。中央の工場は富士電機松本工場。

 

前方部は北西方向を向いている。

 

中央の少し高いビルがホテルブエナビスタ。その左に松本駅があるはずだが、駅ビルはないのでわかりづらい。

 

前方部から見上げる後方部。

 

とんびがゆっくり旋回していた。

 

後方部墳頂には石室の位置が石で表されている。

 

前回は読めた説明板(平成17年設営)はなぜかひどく劣化していた。

前回の様子。

 

今回は常念岳を望みたかったが雲の中だった。カメラは前回のスマホよりよいはずだが、遠望は前回の方があった。

 

西側、新島々(上高地)の方角をズーム。

 

南松本駅をズーム。コンテナの左に駅の跨線橋が見える。

 

南側、塩尻の方向。

 

景色を堪能して墳丘を降りた。

 

満開の桜を想像しながらゆっくりと下った。