墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

護国寺の富士塚(音羽富士) 小篠坂 東京都豊島区大塚・雑司が谷

先日、水稲荷神社の富士塚(高田富士)を登拝した後、護国寺富士塚音羽富士)へも行ってみた。

徒歩で20数分とマップに出たが、上り道でもあったので都電で台地上の東池袋4丁目まで乗ってそこから南に歩いて下った。

 

新目白通りの真ん中にある都電荒川線早稲田駅。「東京さくらトラム」の愛称がこの5月から付いている。

 

車内から車止め。

 

車内は空いていて、最後尾の席に座ることが出来た。学習院下あたりの車窓。

 

小千登世橋をくぐるところで緩いクランクがあった。

 

奥のトンネルの上が小千登世橋。

 

都道435号線に沿って南東へ下る。昭和の風情の店舗。

 

豊島岡墓地の北辺に沿って、一直線の小道が。

 

小道には入らずに、首都高と並走する大通りを進んだ。

 

街角の案内地図を見ると「小篠坂」と書かれていた(右が北)

 

標柱を探して歩いていたら、東京都による説明板があった。

 

ちょっと傾きながらガードに括り付けられて、落書きで読みにくくなっているが、解説の役目は果たしていた。最下部には「昭和59年3月」の設置と銘記されていた。

小篠坂(こざささか)
この坂を小篠坂といい、小笹坂戸も書く。
江戸時代後期の「若葉抄」によれば小笹坂とあり、17世紀はじめ御鷹部屋が現在の雑司が谷霊園内にできてから、本浄寺の東に谷道を新道として開いたといわれる。
この坂の東側は江戸時代初期、大塚御薬園であったが、天和元年(1681)に護国寺となった。
江戸名所図会には小篠坂と記されている。

 

坂下にも文京区による説明板があるようだが見落としてしまった。

歩道脇は資材置き場のようになっていた。

 

大通りに沿って東に回りこんでいくと護国寺参道となった。堂々たる仁王門。

 

門をくぐって正面(写真左)が本堂へ向かう石段。その右手に富士塚がある。

 

鳥居の前の橋の脇に「富士道」の石碑。

 

台地縁の斜面を利用した登山道になっていた。常時登拝可。

 

登り口にある合目石。

 

斜面には多くの石碑が並ぶ。

 

 小振りながら胎内窟もあった。

 

つづら折りの登山道。

 

二合目

 

三合目と五合目は見つけられなかった。

 

 下部が埋もれた六合目。

 

側面には「文化14年」(1817年)と彫られていた。

 

7合目は撮りそびれて8合目。

 

山頂近くの9合目。

 

こちらが山頂の祠。

 

山頂からの眺め。比高差は7mほどになるそう。

 

登山道は複数ついていた。

 

横の道路から見上げた護国寺富士塚

 

お寺にある富士塚なので、東京都神社庁監修の「お江戸のお富士さん」には載っていません。