墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

亀戸浅間神社と富士塚 東京都江東区亀戸

富士塚つながりで、亀戸浅間神社を訪ねてみた。

亀戸駅で降りるのは4年ぶり。神社の案内には駅から徒歩20分とある。

総武線ホーム東寄りの出口で降りて線路に沿って歩いていると気になるトンネルがあった。桁下制限高1.5mの表示だが、南側入口はもっと高い。

 

途中で、石垣に挟まれた小部屋のような空間を過ぎると最も低くなる。

 

実際は160cmくらいか。おじさんはスピードを緩めなかった。

 

出た先は踏み切り。 

 

振り返ったトンネル。

 

踏み切りを渡って線路沿いを東に向かい、再び踏み切りを南に渡った。

曳船駅方面へ向かう東武亀戸線

 

総武線のトンネルをくぐって南側へ向かおうとした。手前の高架はJR東日本の貨物線、越中島支線。

 

越中島支線に沿って未舗装の細道があったので、そちらを入ってみた。

 

懐かしい雰囲気の小道。

 

小道は大通り(丸八通り)に出た。

 

こちら側からだったら入っていなかった。

 

丸八通りを南に100mほど行き、京葉道路を左折して東に900mほどに浅間神社のバス停がある。バスがちょうど来たので停留所2つ分乗ってしまった。

そこから南に150mほど進むと、公園の中に円墳のような佇まいの富士塚があった。

 

現地の説明板。

江東区指定有形民俗文化財 亀戸の富士塚
亀戸9-15-7 亀戸9丁目公園
平成8年3月22日指定
富士山を信仰の対象とする富士信仰は、江戸時代後期には「江戸八百八講」と呼ばれるほど多くの富士講を誕生させました。そのため、各地には富士山を模した富士塚が多数築かれ、講員はそれに登って富士山の代わりとしました。
亀戸の富士塚は、弟橘姫の笄塚(こうがいづか)と伝えられている従来からあった塚を再利用する形となっています。頂上部は広く平坦に整地され、そこに浅間神社が富士山の方向(西南)を向いて鎮座していました。塚の側面は溶岩(黒ボク)で覆われ、山腹の正面(西南側)及び左右側面には、登山道に見立てた石段があり、麓にかけて石碑が23基、石猿が2体附属しています。このうち左側面石段脇の烏帽子岩、左側面上部にある小御岳山碑、右側面石段脇の経ヶ岳碑の三碑は、当初の位置からは動いていますが、実際の富士山と共通させた「名所石」で、富士塚の構成上重要な石造物となっています。そのほかの石碑は、当地で活動していた富士講のひとつ丸不二講のもので、明治以降の年号が彫ってあります。丸不二講は、亀戸・大島・南堅川(以上江東区)・柳原(千代田区)・向島墨田区)などの講員から成り、その活動は大正時代頃まで続けられました。
平成9年、東京都による亀戸・大島・小松川地区再開発事業に伴い、塚上にあった浅間神社は隣接地に移転しました。
平成13年3月 江東区教育委員会

 

「従来からの塚」とあるので古墳の再利用ではと感じられたが、「東京遺跡地図」で調べても何も記されていなかった。

 

墳頂の石碑。平成9年まではこちらに浅間神社の社殿が建っていた。

 

囲いで保護されている塚の西側の斜面には多くの石碑が「黒ボク」とともに配されていた。

 

なんとここは弟橘媛が身に着けていた「笄(こうがい)」が流れ着いたとされる場所だった。 

由来
日本で最初に作られた歴史書である「古事記」には、日本武尊とその后である弟橘媛の美しくも儚いお話が載せられています。
今から約2千年も昔、父景光天皇の命を受け、日本武尊は東国を平定するべく船に乗って走水(現在の神奈川県横須賀市)あたりを通過する時、土地の神様が波を立たせ、通行の邪魔をしたのです。進退窮まった一行、その時弟橘媛が「私があなたさまの身代りとなって海に入りましょう。あなたさまはお父さまの命令を遂行して、無事に都にお戻り下さい。」と自分の身を海に投げたのです。身を投じる際、次のような歌を詠みました。
 さねさし さがむ(相模)のおの(小野)に もゆるひの
 ほなか(火中)にたちて とひききみはも
弟橘媛が、相模国(現在の神奈川県)で火に囲まれた時に、日本武尊が身の心配をしてくれたという内容で、死ぬ間際まで夫に対する合いを伝えるものでした。
さて、弟橘媛が身を投げると、たちまち海が静まり、日本武尊は船を進めることが出来ました。また、身を投げた媛の身に付けていたものは、波に漂って今の東京湾周辺に流れ着きました。そのうち、髪につけていた笄は、この亀戸の地にたどり着いたとされています。かつて亀戸浅間神社があるあたりは「高貝州(こうがいす)」と呼ばれており、その名残りを伝えています。
遥か古の夫婦愛、それを伝える痕跡はもはや何も残っていませんが、末永くその伝説を受け継いでいくためにこの碑を建立しました。
平成24年6月吉日

 

笄(こうがい)
女性が身につける装飾具・結髪具で、髪をかきあげて髷を作るために用います。かつて女性がはじめて笄で結い始める時には「笄礼(けいれい)」と称し、大人の女性になったことを示す儀礼としてとらえていました。

 

絵もあった。

 

神猿の石像。

 

古そうな石段も。

 

 富士塚の上から見た浅間神社

 

亀戸浅間神社は大永7年(1527)創建と社伝にあるそう。祭神は木花咲耶比売命。
平成10年に移築された社殿は関東大震災後の昭和初年の建立の、戦災をくぐり抜けた木造建築。

 

 大祓いの時節で、大きな茅の輪があった。

 

高さ365cmの関東一の大きさだそう。

 

七夕飾りも。鳥居の奥が富士塚

 

いろいろなところに願い事が書かれていた。

 

境内にはさまざまな文化財も置かれていた。 

http://www.sengen.or.jp/

こちらは享和元年(1801)年に建てられた道標。

 

その解説板。

 

線路の一部も。

 

大正期には神社の前を「城東電車」(その後に都電26系統へ)が通っていたそうだ。

こちらの方のブログに詳しかった。

https://blogs.yahoo.co.jp/glock1320031/65414063.html

 

東京時層地図アプリで見ると「浅間前」の停留所も示されていた。

 

境内の周囲は日本化学工業の工場だったが、平成6年(1994)に閉鎖となり、現在はマンション群となっている。

 

 

境内南側の鳥居。