墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

成子天神社 東京都新宿区西新宿

前々回のつづき。

淀橋咳止地蔵堂の前の、通りを隔てた向かいには、高層ビルの街区と公開空地があった。

 

マップを見ると、街区の北側に神社の印があったので立ち寄った。

 

色鮮やかな立派な社殿があった。成子天神社の新しい社殿は平成26年に造営されたそうだ。

 

成子天神社 - Wikipediaによれば、周囲の高層ビル(マンション)の敷地は当社の境内だったとのこと。拝殿内では結婚式が執り行われていた。

 

参道にあった御由緒。

由緒 祭神 菅原道真
千百年を超える歴史を紡いできた「成子天神社」。
このあたりはその昔柏木村鳴子と呼ばれ、当地にはもともと大神宮(ご祭神天照大御神)が祀られ、松や柏の樹々が茂る清らかな神域が広がっておりました。
平安時代の延喜3年(903)、九州の大宰府菅原道真公が亡くなられたという報せを東国の地で受けた家臣の佐伯と斎宮は悲嘆極まりなく、その徳を慕い、洛陽(平安京)より、公の生前に彫られた像を柏木村に持ち帰りました。そして当地を菅公神社の神域とし、平和と文道の神としてお祀りし当社が設立されました。
その後、徳川三代将軍家光公より春日局に柏木鳴子の地を賜り、局の勧請により天満天神社として社殿を造営。明治27年成子神社と改め昭和3年成子天神社と改称。その後戦災消失、昭和41年の再建等を経て、平成26年の御造営を迎えました。

 

拝殿前から振り返ったところ。

 

拝殿前には7つの力石(ちからいし)が埋められていた。 

 

その説明板。力比べに使われて奉納された石の重さは150kgから218kgに及ぶ。

 

ショーウィンドウ的な神輿蔵。

 

境内には三角鳥居に囲まれた井戸もあった。水も出る。

実は上記の奥の道を進んだ右側に富士塚があったことを後から知った。大正9年に造営されたもので、新宿区に現存する富士塚で最も大きいものだそう。

再訪しないと・・・

 

神門の先から。

 

参道はバス通り(都道4号)まで細長く続いていた。成子坂という坂名があることを後から知った。

 

参道にあった「鳴子ウリ」の解説。江戸期はこのあたりはマクワウリの産地だった。

江戸・東京の農業 鳴子ウリ
成子天神を中心とした地域は、江戸時代マクワウリの特産地でした。
記録によれば、江戸に幕府を開いた徳川家は、元和年間(1615~24)に美濃の国真桑村(まくわむら)から農民を呼び寄せ、鳴子と府中の是政村(現在の府中市)に御用畑を設け、マクワウリを栽培させました。
マクワウリは根が浅く、土の乾燥に弱いので、土に湿り気のある神田川流域の当地は適地でした。
元禄11年(1698)新宿に宿場が開かれたため、栽培は次第に盛んとなり、当時、四谷ウリとか、この地域が鳴子坂と呼ばれていたので、鳴子ウリと呼ばれ、明治にいたるまで特産地として栄えました。
鳴子ウリは長さ4寸(12cm)で太さは元で1.8寸(約5.4cm)。末で2寸(6cm)余りの小型のウリで、外観は緑色で表面に細い緑のすじがあり、熟すと甘い香りと共に黄色く色付く。果肉は緑色で甘味に富んで、当時は甘い物が少なかったので水菓子として貴重な野菜でした。
平成9年度JA東京グループ 農業協同組合法施行50周年記念事業

 

成子坂側から見上げる高層ビル。

 

そこと成子坂を挟んだ向かい側でも、高層ビルが建とうとしていた。

 

地上29階、132mのビルが2020年3月末に完成予定。

 

その敷地の裏側でも工事が行われていた。

 

こちらは地上14階、52mのホテルで来年11月に完成予定。 

高層ビルと公開空地のセットが拡大していく・・・