墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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茨城県立歴史館(茨城県立水戸農業高等学校旧本館・旧水海道小学校本館) 茨城県水戸市緑町

前回のつづき。

水戸芸術館で藤森照信展を見た帰路、茨城県立歴史館へ立ち寄った。 

茨城県の歴史について「公共博物館と文書館の機能を合わせ持つ施設」として、旧茨城県立水戸農業高等学校跡の敷地に1974年に開館した博物館。常設展は一般150円、駐車場無料。

虎塚古墳のレプリカや舟塚山古墳の埴輪など、古墳時代の展示物も充実していて魅力的な博物館だったが、館内は撮影禁止。公式サイト・Panoramaで館内の様子がわかる。

 

こちらの歴史館へは4年前(平成25年)の秋にも「はにわの世界展」を見に来た。地元茨城県出土を中心とした様々な埴輪が数多く出ていて素晴らしい特別展だった。

そのとき購入した図録。表紙左上は「乳飲み児を抱く女子:ひたちなか市大平古墳群出土」、右下は「力士:小美玉市舟塚古墳出土」

 

歴史館のある敷地は結構広く、歴史的建造物もいくつか建っている。

 

・茨城県立水戸農業高等学校旧本館 

 

もともとこの敷地にあった農学校の建物。見学は外観のみ。

茨城県立水戸農業高等学校旧本館
木造瓦葺平屋建418㎡(うち車寄せ部分20.52㎡)
茨城県水戸農業高等学校は、明治28年4月、茨城県中央農事講習所として水戸市南三の丸の地に創設され、翌29年4月、学校組織に改められ、茨城県簡易農学校と称しました。
明治32年5月、「実業学校令」「農業学校規程」に基づき、茨城県農学校(甲種)を開校し、翌年6月、この地に移転しました。
爾来70年、校名は、茨城県立農学校、茨城県立水戸農学校、茨城県立水戸農業高等学校と改称しましたが、時代の進展と社会の要請に応えて、幾多の俊秀を輩出しました。
昭和45年2月、輝かしい歴史を刻んだこの地から那珂郡那珂町に移転し、木の折町(現在は緑町)時代の幕を閉じました。
この建物は、外観をほぼ創建時の姿のままに東側の一部を除外し、建設場所および建物内部を変更して再建し、昭和50年10月竣工したものです。

 

屋根が立派な車寄せ。

 

側面から。大きな板壁。

 

車寄せと反対側の面へ回ってみた。窓が意外に小さかった。

 

ひときわ目立つ建物は、移築された旧水海道小学校本館。

 

明治14年に建てられた見事な明治洋風建築。

茨城県指定文化財 旧水海道小学校本館
昭和33年3月12日指定
前所在地:水海道市(現常総市)栄町2664
総面積:574.113㎡
水海道小学校本館は、明治14年に建築された、いわゆる明治洋風建築の一つですが、とくに明治10年代における県下唯一の遺構として注目されています。最初は水海道市横町の成就院跡に町民有志の寄付により、基金五千円をもって建てられました。棟梁は水海道に住む羽田甚蔵であったといわれています。
その後大正10年同市栄町に移築されましたが、その際一応旧様式を伝えながら建物の規模形状など全面的に大改造を受けました。しかし幸いにも、明治14年建立時の正面写真、平面見取図、各室の寸法書が残っていたのでそれをもとに創建時の姿に復元することができました。
寄贈者 水海道市(現常総市)

 

和風と洋風がミックスされた面白い意匠が凝らされている。 

 

内部は1階の展示室のみ見学可能(撮影は不可)

 

玄関バルコニーの天井。

 

側面には小さな窓があった。

 

 玄関の反対側にもバルコニーがあった。

 

子供たちのために寄付をした地元有志の方々の誇りが伝わってくる。

 

1階扉の上はステンドグラスになっていて、中から見ると綺麗だった。

 

農学校旧本館前の道を斜面下へ降りていくと水車小屋があった。

 

 

水車小屋
前所在地:那珂郡山方町諸沢
平面積:23.1㎡
この水車小屋は那珂郡山方町諸沢の菊池家で使用されていたもので、幕末または明治初年の建築とみられ寄棟造茅葺二階建ての建物です。軒下に水車を備えていますが、これは懸桶から落下する水力により回転させる方式のものです。
内部には大小4個の石臼をすえ、そのうち大きいもの一個はそば粉などを二階へ送り上げてそれを落下させ粉砕を反復する木製のからくりを付属した興味深いものです。
寄贈者 菊池寿太郎氏

 

 茅葺きの見事な旧茂木家住宅もあるが、大規模修繕中だった。