墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

吉田古墳 茨城県水戸市元吉田町

前回のつづき。

千波公園の古墳を見た後、水戸駅の南1.2kmほどに立地する国史跡の吉田古墳を訪ねた。

水戸駅からまっすぐ南に伸びる大通りに古墳を示す案内板がある。

 

こちらの細い道を入る。

 

すぐ先で、開けた空地の一画が金網に囲まれていた。

 

施錠された入口。

 

史跡と彫られた石柱は立派だが、墳丘はあっけないほど小さい。

 

説明板があった。

なんとこの方墳(元は一辺30m)は、横穴式石室の奥壁に靫、刀子、鉾などが線刻で描かれている壁画古墳だった。

史跡 吉田古墳
大正11年3月8日指定
この古墳は飛鳥時代の6世紀末以降に造られたもので、現在は一辺8m、高さ1.6mほどの方墳にすぎないが、周溝から判断すると当時は一辺30mを越えていたことが推定される。内部主体は南に開口する全長約3mの凝灰岩の板状の石で構築した横穴式石室であり、大正3年に発掘され、金環、鉄鏃、直刀、勾玉等が発見された。また、石室の奥壁には線刻で靫、刀子、鉾等武具を主体とした壁画が施されている。このような壁画古墳は、北九州についで関東から福島にかけての東海岸に多く発見されているところから、当時の文化の伝播と強い関連が考えられている。

 

現在は埋め戻されている。

なんと平成22年の発掘調査で石室公開があり、昇寛さんは現説に参加して写真も撮られていた。水戸市吉田古墳 » 埼群古墳館

 

地面に落ちていた白い板をめくったら、教育委員会の説明板だった。

吉田古墳の墳形について
現在進めております調査・検討において、吉田古墳が多角形墳であることが明らかとなりました。引き続き整備に向けて調査・検討を行っております。説明板の更新まで今しばらくお待ちください。
平成23年3月 水戸市教育委員会

 

東側から。

 

西側から。

金網の外側に家が建て込むことがないように願うが・・・