墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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上ノ山古墳 茨城県茨城町前田

前回のつづき。

宝塚古墳を見学後、東に5kmほどにある茨城町指定史跡の上ノ山(うえのやま)古墳を訪ねた。

 

国道6号の長岡立体の少し北、県道40号線沿いに看板が出ていた。手前の小道を進む。

 

その先をズームすると説明版が見える。

 

標柱のあたりに来ると、前方部の裾が見えてきた。

 

そのあたりから振り返ったところ。

 

筍の門。

 

前方部の裾に立つ説明板。

 

上ノ山古墳は全長28.5mの前方後円墳。 整備されていて鍵穴の形がよくわかった。

町指定史跡 上ノ山古墳(うえのやまこふん)
西暦300~600年代にかけて、高く土を築いた古代の墓を古墳という。この時代を古墳時代と呼んでいる。
県内には5500基の古墳が存在する。町内からは、涸沼川流域を中心に130基の古墳が確認されているが、実際には倍以上の古墳が造られたと思われる。
古墳の代表的な形としては、円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳などがある。当町内の古墳の大半は円墳と思われる。野曽地内の宝塚古墳は前方後方墳、当地の上ノ山古墳は、前方後円墳である。いずれも町内では唯一のものであり、町の史跡に指定されている。
上ノ山古墳は、平成2年5月から6月にかけての調査の結果、全長28.5m、後円部直径20.5mの規模であることが判明。古墳からは、小幡北山埴輪製作遺跡で作られた人物や円筒の埴輪が出土している。
県内の前方後円墳には、石岡市の舟塚山古墳(全長186m)にように、100mを越えるものも見られる。上ノ山古墳は、小規模の古墳といえよう。小幡の埴輪の製作などと考えあわせると、上ノ山古墳は今から約1400年ほど前、前田および周辺を治めた首長の墓と考えられる。
平成2年8月 茨城町教育委員会

 

 前方部左裾から後円部方向。

 

前方部の墳丘上から後円部。中央に植栽があるのは主体部上を保護するためか? 

 

前方部端から台地下方向。この方向以外は周囲の樹木が密で眺望は得られなかった。

 

後円部墳丘端から前方部。

 

パノラマで。左が後円部、右が前方部。

 

後円部を麓から。

 

後円部の先から。右奥に前方部が続く。

 

後円部の先、樹木の中に続く小道があった。

 

その先は墓地だった。正面の樹木の後ろが上ノ山古墳。

 

墓地の先の道を下りた。

 

県道に出て、古墳のある丘を眺めた。