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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

中野区立歴史民俗博物館・常設展示 東京都中野区江古田

前回のつづき。

外庭で「離れ」の特別公開を見たあと、館内へ。

初めて入ったが旧石器から現代まで、当地の各時代の史料があって充実していた。

 

縄文時代の土器や石器のコーナー。

 

弥生期のコーナーでは竪穴式住居の復元模型も。沼袋駅の南側にある平和の森公園からは旧石器から近世に至る暮らしの跡が残っているそうだ。

 

古墳時代のコーナーもあった。

あとで調べていると当博物館館長が書かれた下記のコラムで、中野区立上高田図書館の東側一帯の遠藤山古墳群跡から径13~18mの3基の円墳跡(平成2年調査)と4基目の古墳の周溝(平成26年調査)が発見されていたことを知った。

【中野の歴史2-2】中野にも古墳があった!? | 中野の歴史 | まち歩き | 中野区都市観光サイト まるっと中野

 

少しとばして江戸時代の展示。こちらは犬の駕籠の復元。

江戸時代、現在の中野駅の西側には約100ha(TDLTDSと同規模)の広さの野犬の御囲(おかこい)が広がっていた。

五代将軍綱吉の生類憐みの令によって江戸の野犬を収容した施設で、収容した犬は10万頭とも20万頭ともいわれるそうだ(再度下記のコラムより)

【中野の歴史5-1】 5代将軍綱吉とお犬様 | 中野の歴史 | まち歩き | 中野区都市観光サイト まるっと中野

 

こちらは、宝仙寺三重塔の1/12模型


現在の宝仙寺境内にある三重塔は再建されたもので、昭和20年に戦災で焼失するまでは寛永11年(1636)に建立された高さ24mの塔が区立第10中学校の場所にあった。

地元の一般人飯塚惣兵衛夫妻が出資者で当時の住職が発願者であることが判っているがそのようなケースは尋常なことではないとのこと(再びコラムより)

【中野の歴史4-4】 宝仙寺三重塔の謎 | 中野の歴史 | まち歩き | 中野区都市観光サイト まるっと中野

 

江戸期(安政6年:1859)築の深野家(名主屋敷)の模型。

 

家屋の一部が展示室内に移築復元されていた。

 

戦時中のコーナー。焼夷弾や爆弾、鉄かぶとや防毒マスクも。

 

 別の部屋では企画展「書く道具 手書き、複写、印刷へ」が開催されていた(~6/4)

 

筆から始まって、ここは「学校で書く」の展示。鉛筆ケースの展示。

 

ガリ版謄写版もガラスケースの中。

 

ワープロやフロッピーも。

 

 明治20年に東洋大学の前身である哲学館(現在の哲学堂公園)を築いた井上円了の展示コーナーもあった。

 

そのコレクションの一つ、アルマジロの小物入れ。

 

このあと、哲学堂公園も訪ねた。

つづく。