5月4日、国会議事堂で日本国憲法施行70周年記念の特別参観のことをニュースで知ったので行ってみた。
普段も本会議開会中以外は9名以下なら事前予約なしで見学できる(参院は平日のみ)
特別参観では、普段は見られない「委員室」にも入室できた。
自分は実は国会議事堂へは行ったことがなく(小学校の社会科見学で熱を出した)、本会議場を見るのも初めてで、豪華な造りの建物に圧倒されてきた。
入場口は議事堂の裏側(西側)で地下鉄の国会議事堂前駅が最寄り。地上の門から入って地下に降り、保安検査場を通って前庭へ出る。
最初の入口で色別の入場券を受け取り、屋外で待ってアナウンスの指示に従って集合して見学開始。自分は青券で90分待ちとあったが実際はその半分くらいの待ち時間だった。
前庭にはおみやげショップや速記サインコーナーがあった。時間まで待つためのベンチのあるテントもあったが、来場者は多くて溢れていた。
テントにあった特別参観のポスター。
強い陽射し。建物は東向きなので午後は逆光になる。
建物正面近くでは、衛視と記念撮影するコーナーも。女性衛視が大人気だった。
列柱をズームで。
いただいたパンフによれば、国会議事堂建物のデータは下記のとおり。
敷地面積:10.3ha(103,001㎡)
長さ:正面206.36m、奥行88.63m
議場面積:衆議院、参議院ともに743.81㎡
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建(一部4階、塔屋付)
建築費:2,570万円(当時の金額)
建築期間:17年間(大正9年1月~昭和11年11月)
使用開始議会:第70回帝国議会(昭和11年12月)
工事述人数:254万人
衆議院:正面から見て左側
参議院:正面から見て右側
設計者については記されていなかったが、下記のサイトによると、建設に至るまでに様々な紆余曲折があったために特定の名前を明記できないそうだ。
議事堂建設計画が本格的に始まった明治40年頃には大蔵省臨時議院建築部の妻木頼黄が設計者として選ばれたが、国会議事堂設計を悲願としていた辰野金吾が待ったをかける。途中で妻木は亡くなって辰野が希望していたコンペとなるが、審査の最中で辰野も亡くなり、宮内省技官の渡邊福三の設計案が一等となるが、渡邊もまた当選後に亡くなってしまう。
結局、官僚建築家たちによる合同チームが設計を担ったとのこと。
国会議事堂 - Wikipediaを見ると、大蔵省技師の矢橋賢吉・大熊喜邦、宮内省内匠寮技手の吉武東里らの名前が記載されていた。
正面玄関前から東側。門の外からはよく見たことがある。
向かって左側が衆議院。左の玄関から入る。
見学が終わって衆議院側の中庭から出てくる見学者たち。奥の中央玄関は国会開会式での天皇陛下、選挙後の国会召集日の議員、外国元首等を迎える際に開かれるそう。
たまたま列の先頭に並んでしまったので途中で立ち止まれず、衆院の玄関を入って内側から。入場してからはコース内を自由に見て回れた。
衆院の玄関ホールには尾崎行雄と三木武夫の胸像がある。
現役のエレベータ。
ゴージャスな階段で2階へ。
いただいたパンフにあった見学路。中央玄関を含む左側の衆院部分を2階から3階へと見て回った。パンフは44頁もある立派なものだった。
階段を上がってすぐに衆議院本会議場。扉の前までなので写真を撮る人々で行列になっていた。
大きな天窓から光が差し込んでいた。
議長席の方向。
隅ごとにある階段やエレベータが見事だった。
議長室の前。
中へ入れるようになっていた。
壁面を埋める肖像。
両サイドに豪華な暖炉。資材はほぼ全て国産で、当時最高のものが使われている。
大会議場の周りの廊下を半周して反対側から。
議場の周りは控え室だらけだった。
衆議院側の中庭。
その窓からの塔屋方向。
塔奥のある正面玄関のちょうど背面あたりに出るところで行列があった。
列には加わらずに頭越しで。テレビでよく見る大臣室。
大臣室の対面側。一階への階段と「内閣記者会」の部屋があった。
この日は立入禁止の参議院側に続く廊下。
見事な大理石の柱。
そこを曲がって進むと中央広間に出た。
4階吹き抜けで、光り溢れる天井までは約32m。
アーチだけ見ているとローマにいるよう?
伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が3つの隅に立つ(一つは台座のみ)
2階から見上げる3階バルコニー。
中央玄関から3階奥へと続く階段は見学のみだった。
つづく。