読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧協働会館 東京都港区芝浦

港区指定有形文化財の旧協働会館は、浜松町駅田町駅の間にある大きな木造建築。

かなり昔にモノレールの車窓から見た覚えがあって、以前から近くで見たいと思っていた。

 

屋根にシートが、全体に網がかかり、金網で囲われて、白い「建築計画のお知らせ」が掲示されていてドキッとしたが、保存整備工事だったのでホッとした。

平成29年7月1日着工、完了予定は平成31年7月31日となっていた。

 

掲示板の隣に港区の広報誌・KISSポート2011年11月号の「港区探訪・港区近代建築めぐり、第一回」紹介記事も掲げられていた。下記のpdf版もあった。

https://www.kissport.or.jp/spot/tanbou/pdf/tanbou1111.pdf

建築データ

建築年:昭和11年(1936)
棟梁:酒井久五郎(1898~1993)
建築面積:223㎡
延床面積:442㎡
階数:2階建て
構造:木造在来軸組工法(屋根部分トラス構造)

 

 以下に最初のパラグラフを転載。

人々の交流の場として栄えた華やかな芝浦花柳界の象徴
江戸時代、有名な漁村として栄えた芝浦。明治から大正時代にかけて埋め立て工事が進み、工業地区として成長するのと同時に、鮮魚を売りにした料亭街としても栄えていきます。特に芝浦一丁目付近は戦前まで、都内でも有数の花街でした。
現在、「協働会館」と呼ばれている建物は、芸妓の取次ぎをした三業(料理屋、置屋待合茶屋)組合の事務所である見番として1936年(昭和11年)に建てられました。施主は、芝浦に住み、花柳界に深く関わる三業組合の組合長だった細川力蔵氏。同氏が創設した雅叙園(目黒区)の建築も手がけた棟梁・酒井久五郎氏設計の、贅を尽くした近代和風建築です。
木造二階建て、述べ床面積約440平方メートルの建物は、一階は芸妓たちが踊りの稽古に日々励んだという舞台付きの百畳の大広間と楽屋でした。
戦中に花柳界疎開したため、見番として使用された期間は短いものでしたが、その後、隣接する元待合や料亭と共に港湾労働者の宿泊所となります。戦後は、東京都港湾局管理ものと、「協働会館」と名を変え、大広間が集会所として貸し出されました。舞踊の会に使われるなど、地元住民にはなじみ深い場所となりました。

 

通りに面した玄関に、堂々とした唐破風。 

上記の記事によれば、扉を開けるとモダンなタイル敷きの玄関ホールがあり、奥には卍崩しの引き扉、左手には手すりの親柱には擬宝球の付いた階段が緩やかに曲線を描いて昇っているそうだ。

 

かつては(1997年頃まで?)左右に、港湾労働者の宿泊所として転用されていた元待合の建物が残っていたとのこと。

 

協働会館はL字形の平面プランになっている。

 

正面の一階は港湾労働者が利用していた宿泊室、2階は大広間舞台の控えの間だったようだ。積荷のコンテナ化で港湾労働者の職自体が変容してしまった。

 

反対側は長い奥行き。

 

2階のこちら側は柱のない百畳の大広間だった。 

 

右の窓が高いあたりが約30畳あった檜舞台(のはず) 

 

現在は玄関の向かいに背の高いマンションが建っているので、もうモノレールからは見えない。

 

その先のビルの間から軌道が見えた。

 

上記の位置から右手の先にある旧協働会館。

 

目黒雅叙園 - Wikipediaによれば、施主の細川力蔵は石川県出身で昭和6年(1931)に目黒雅叙園を開業したが、その前の昭和3年(1928)に東京・芝浦にある自邸を改築して純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経営していたそうだ。その芝浦雅叙園とこの旧協働会館との関連は調べきれなかった。

 

旧協働会館と同じ棟梁・酒井久五郎が手がけた目黒雅叙園の百段階段(昭和10年築)へは昨年訪ねることができた。

massneko.hatenablog.com