読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

奈良古墳群 群馬県沼田市奈良町

前回のつづき。 

藤岡市の白石古墳群見学後は関越道を30分ほど北上して沼田市の奈良古墳群を訪ねた。

 

この日は車だったので、沼田ICから5分という立地から目的地に選んだ。ICからは雪のついている武尊山(ほたかやま:2158m)を横目に見つつ、カーナビに従って進んでいくと、道路脇に青い表示板があった。

 

砂利道を突き当たりが古墳広場のようになっていた。

武尊山を水源とする利根川の支流・薄根川が東と南を囲むように流れる、台地から一段下がったテラス状の場所だった。

 

説明板があった。

沼田市指定史跡 奈良古墳群
指定年月日:昭和55年8月30日
所在地:沼田市奈良町110番地他
管理者:沼田市
薄根川右岸の奈良町字大平・八幡平一帯には、かつて奈良の百塚と称されるほど多数の古墳が存在していたが、土地改良工事等によって多くの古墳が失われた。現在は、古墳群東側の古墳公園予定地3万6千㎡を主として比較的状況の良好な古墳が十数基が残存している。古墳の特徴や出土資料から、全て古墳時代後期末の7世紀ごろに造られた円墳と推定される。最大の7号古墳は墳丘の直径が約15~20m、高さ約3.5mを測る。
古墳の埋葬主体部は横穴式石室で、付近で発掘調査された古墳席室内からは死者に添えられた武器・馬具・装身具等の副葬品が、古墳周辺からは供えられた須恵器の破片が多数発見されている。古墳群東端の10号古墳の石室形態は県内でも稀少で、石室側壁中央から片側にほぼ直角方向に延びる小石室が付設されている。
平成22年3月 沼田市教育委員会

 

地図には1号古墳から11号古墳と番号の振られていない古墳が示されていた。

 

かつての段々畑(棚田?)の跡のような石垣が残っていた。 

 

案内板の北にある1号古墳。地図を見ると後ろの崖上に奈良町の家並みが北に伸びるがこちらとの標高差は30mほどになる。この広場は標高420mぐらい。

 

1号古墳は表示板がとれていた。

 

木の格子戸越しに内部の様子。

 

天井石が露出して斜めになっていた。

 

蓋の開いた石室を覗き込んで。

 

後ろを振り返ると、円墳がぽこぽこと。後ろの崖との間に薄根川が流れる。

向こうの台地上は標高450m程度の細長い舌状台地で、右(西)へ3kmほど行くと沼田の中心市街、その先が利根川で約100m標高を下げる。 

 

円墳の列は手前から2号、3号、4号。

 

 2号古墳を正面(南側)から。

 

3号古墳を正面から。

 

石室入口は高さ70cmほどなので覗き込むだけとした。

 

4号古墳は入口の羨道部分が埋没していた。

 

一列南側になる5号古墳。石室は埋没している。

 

左が5号古墳で南側から。後ろに2,3,4,7号古墳が並ぶ。

 

6号古墳。5号古墳の西になる。

 

7号古墳。古墳群中で最も大きい。

 

南側に開口。

 

石室もしっかり残っている。

 

割った石の平坦面を手前に向けて積まれている。

 

奥壁前から入口方向。

 

入口から外を見た風景。 古代と変わらない?

 

7号古墳の西側から。見学路にはウッドチップが敷かれていた。左奥の橋は関越道。 

 

8号古墳は東南隅の一番奥。

 

その先は崖で20mほど下に薄根川がある。

 

9号古墳。8号古墳の北側。

 

石室内の様子。脆そうだったので外からのみ。

 

 9号古墳の後ろ側。右上は8号古墳。

 

10号古墳。北東の隅にある。

 

格子戸越しの内部。

写真ではうまく撮れなかったが、右側面にもう一部屋への入口がある。

 

説明板にあった平面図。

昇寛さんが訪ねたときは格子戸はなかったようで、石室内の小部屋の様子も写されている。沼田市奈良10号墳 » 埼群古墳館

 

10号古墳の小部屋の後ろ側あたりから。

 

 11号古墳(表示板は撮りそびれました)

 

1号古墳の近くに「16号古墳」の表示板があったが、12から15までは見当たらなかった。

 

奈良古墳群は榛名山噴火による軽石などの噴出物の堆積層の上に築かれている。

榛名山二ツ岳では古墳時代に2度、大噴火があった。1度目は489年~498年の初夏、2度目は525年~550年の初夏で、2度目の方が規模が大きく、VEI(火山爆発指数)「5」の「非常に大規模」な噴火だった。気象庁|榛名山

火砕流や泥流により東側山麓古墳時代集落が壊滅した。

NHK歴史秘話ヒストリア「謎の古代王最後の戦い 日本のポンペイから探る」でも取り上げられたが、この火砕流に巻き込まれた、甲を身につけた武人が平成24年に出土し、「日本のポンペイ」と呼ばれるようになっている。

大噴火から百年程を経て7世紀には、古墳群が築かれるほど地域は復興していたという証左になるのだろう。

 

沼田警察署の近く、街道沿いにあった「うどん亭さくら」で昼食を取った。

えび天おろしうどんをいただいたがとても美味しかった。 

 

うどん店内に枝垂桜の写真があり、お店の方にどこの桜か伺うと目の前ですよとの返答。道を隔てて見事な枝垂桜があったが開花前だった。

 

桜の下には仲よし双体道祖神馬頭観音があった。 

つづく。